2016年9月13日火曜日

ルーツをたどる

9月12日。      157/92。  61.6㎏。

 朝食はフレンチトーストとフルーツヨーグルト、野菜ジュースに牛乳。

 ちょっと体が重く感じるのはすっきりしない排便状態によるものなのか?運動不足ではあるよなあ。
 まあ、この日しっかり歩くことになるであろうことは予測されているんで、途中でもよおしたりしないようしっかり用事を済ませてから出発した。
 が、いきなり江戸川区の公共機関の地図などを入れたクリアファイルを忘れ、一旦戻って再出発したら、目の前でバスが出てしまい、JRの駅まで歩くことになった。出だし最悪、でもないか。


前日来た秋葉原で総武線に乗り換え平井に降り立った。

 まず、駅から近いところから探ってみることにしていたので、江戸川区立小松川第二中学校を訪ねた。
 事務の人が応対してくれ、趣旨を伝えたところ副校長を呼んできてくれた。

お尋ねの内容はこうである。自分の兄が昭和31年ころ本校を卒業しているはずなので、当時の住所を教えてほしい。
 自分は郷土史に興味を持つものであり、現住所の荒川区の郷土史を調査した時に「三業」のことにに触れ、その時に「平井」の名も出てきたことで、調べ始めたのだが、ちょうど自分が4.5歳のころ住んでいたところが料亭(名前は「いちらく」漢字は不明)の敷地内にあったことから、その場所を特定するのがこの日の目的なのである。

 郷土資料館では当時の史料がほとんどないことで、それでは自分史をうまく使うことにしたわけである。

 副校長はデジタル資料ではないので時間がかかることから、あとで連絡くれることを約束してくれた。

 次は小松川コミュニティ館。ここで受付の人に80代以上の人で、三業のことを知っている人を探したい由を伝えたが、ここではなく小松川区民事務所に当たってほしいといわれた。
 実はつぎに訪ねる予定の場所でもあった。

 ここでも当時の地図や資料は保持していないといわれた。

 で、名刺を渡して帰ろうとしたら、途中で同じ建物の中にある小松川区民館の受付(最初に訪ねたところ)の人に呼び止められ、地図帳を渡された。
 2004年発行の郷土地図である。確か図書館にも置いてなかったものである。

 思わず声出しちゃった。「あったーっ!」。「料亭一楽」。間違いない。

コピー代10円払って、お礼してから早速その場所に行くことにした。11時半ころで、店に入って昼食をとるのもじかんが惜しいんで、そこで売っていた「障碍者が作ったパン」屋さんでサンドイッチを買って、その建物をあとにした。

 区画整理が何度かあったようで、しかも建物の名前が地図のものと現在と符号が合うものがひとつもないことから30分周辺をぶらついたが、まったく手掛かりなしだった。
 で、公園でサンドイッチを食いながら地図をしっかり見なおした。

よく見なおすと実に不思議な地図であることが分かった。まず、いつの時代ものかは区民館の人にもわからなかったし、かなり歴史のある一つだけ残った料亭「まじま」でさえも名前が違っているんである。誤字もある。ちょっと離れているが「コンドーム」なんて店?もあったりする。さらに「火薬倉庫」なんて物騒なものまである。もしかしたら戦前のものかもしれない。
 で、「日東硫曹株式会社東京工場」なるものが現在都営アパートになっているところに存在しているんで、これを追っていけば時代が確定できるかもしれないと考えた。ほかにも「花王油脂工場」とか「小松川第4国民学校」なんてものもある。場所からすると、この日訪ねた中学校の前身であるようだ。
 やはり戦前のものだ。国民学校って戦後制度改革によってなくなったものじゃないか。

 「一楽」の近くには「三業組合見番」なるものがある。近所には「料亭何々」や「何々家」などがひしめいている。

 仕切り直して散策してようやく場所を特定できた。現住所は平井3-10-8である。

 4.5歳の時あれほど広い世界だと感じていた空間はあきれるほど狭いものだった。親父の帰りを待ちながら一人で街灯近くで遊んでた路地から見えた線路橋はかなり距離があったはずなんだが、50mもなく、すぐ目の前だった。
 池に入って、ガラスの破片で足を切った神社はなくなっていた。「伏見稲荷」。

 一楽のお隣の「久の家」とある場所は現在定食屋になっていて、そこのご主人とすこし立ち話したところ、自身も30年前に上京して開業したとのことで、その当時からでも風景は変わってきたとのことである。60年前ならなおさらだよなあ。
近所で写したものだが、板塀に歴史感じるよなあ。
最初、伏見稲荷跡地と勘違いしたところ。
これも最初一楽と勘違いしたところで、何年か前に来たときもそう感じていた。明らかに俺の思い込みの強さがなせる業である。
三業時代の最後の建物で現在も盛業?中。今回の地図では「福松」となっている。この辺の大地主でもあるようだ。
これが「一楽」跡地に建っているアパートである。
一時停止の標識の前にある建物の裏に当たる部分のところに4.5歳ころ住んでいた掘っ立て小屋があり、手前の建物があるところは当時畑であり、それを前にした俺と親父の写真を見たことがある。さらにその手前に「一楽」があったんだ。
一楽跡地の隣にある医院。もしかしたらここも一楽跡地とも考えられる。
「三業組合見番」なるものがあったところ。お隣は現在「鳥喜」の工場?兼売店。

こんなところで、今回の「江戸川散乱歩」を終了しようと思ったが、ケイのにぃにぃと落ちあう時間までだいぶあるんで、南口周辺を歩いたんで、北口方面に足を延ばすことにした。来週は諏訪神社大祭があるので、町はのぼりが多く立ち、提灯なども多くぶら下げられていることから、諏訪神社をお参りした。ずいぶんと立派な建物である。儲かっていそうだったんで、しかも財布には100円以下のものが切らしてたんでお賽銭なしということで。
 
「灯明寺」。ここもえらく儲かっているようだったな。
「旧中川」。近くに川が流れている、それだけで心休まる。が、昔はちょっと雨降ると反乱したりして住人には厄介な川でもあったらしい。魚影も豊富でこの日も平日ながら釣り糸を垂らしている姿がちらほら見えた。

 立石に移動することにした。「大江戸日本酒まつり」の前売り券を売っているおでん屋さんに電話したところ2時ころだったがOKだということだった。
 時間はたっぷりあるんで遠回りしていくことにした。まず、総武線でふた駅乗り、小岩で降り、歩いて京成小岩まで。この道はこの道ではないかもしれないが酔って歩いたことが2度ほどあるにもかかわらず記憶がないので、以前から仕切り直したかった道でもある。
 思ったよりも遠かった。
 
 また、京成小岩から町屋へ行くのに、酔っ払ってたんで上野まで行ってしまったんで今回こそ乗り過ごさぬようにするつもりだった。

 が、青砥まで順調に来たものの、次の駅である立石に泊まらない「押上直行」というへんてこな車両に乗っていたらしかった。結局押上(スカイツリー前)から立石まで戻ることとなった。やれやれ。京成を使いこなすのは大変だ。押上で同じく立石に行きたい客に、この車両が立石に行くか尋ねられたりしたもんな。

 立石は一度飲んだことのあるところでベロベロになっったなあ。あの時はビールを飲むペースが早すぎたんだな。体調も良くなかったんじゃあないだろうか。先日のケイのようだ。

 そのおでん屋さんは盛業中で、午後二時から営業しているとのこと。まったく「のんべえストリート」であり、有名な立ち食い寿司屋には行列ができ、もつ焼きはほぼ満席状態だった。
 一杯やりたいところだったが、ここまでケイのにぃにぃを呼び出すのは申し訳ないので、時間が3時ころだったんで喫茶店でコーヒーと抹茶&ソフト白玉あずきをおやつにしてから立石を後にした。

 さて、上野に着いて、この日の下調べ。公園を回って桜テラスに戻り、アメ横に向かう。アメ横地下で韓国唐辛子と紹興酒を買ってから、JR と昭和通りに挟まれた飲み屋街を「アド街」風に歩いてみた。気になっていた店、上ったことのないビルである「丸井」などもじっくり見て回った。
 入りたくなった店は以前からの「大統領・支店」と丸井のレストラン階にあるロシア料理店である。

 さて、結局選んだ店はリニューアルオープンしたころから気なっていた「吉池」のその名も「吉池食堂」である。名前のショボい感じもいいし、なんせ、鮮魚で名を売った老舗だし、酒販売でも酒の種類も当時としては周辺で一番だったんじゃないかな。その店が経営する食堂は要チェックである。

 一足先に店についたら9階にあるその店の窓際に通された。窓際はいつも空いてないそうである
。一足遅れてきたグループは空いている席を希望したが、予約席ということで断念せざるを得なかった。

 まずはサッポロ黒ラベル。そして日本酒「雪中梅」、「鮎正宗」を燗で、つまみは「もつ煮」、「しめ鯖」、「かんぱち刺身」、「ブランドポーク岩塩焼き」、「水茄子」。 
 うまい!刺身は山口の早朝食堂で食べた時と同じしっかりしたもので、歯ごたえ十分。雰囲気もいいし、ここで席を移動せずに寿司と洋食も食べられる。「三越食堂」に比べるとなんてあか抜けないネーミングの店だが、その実力は十分対抗できるものなんじゃないだろうか。
 眺めもいいし、また来たくなる店だな。

 ぶらぶらしながら上野に向かい、桜テラスにもどりイタリアンレストランに入る。年齢層は吉池と比べると20年は下がるんじゃないだろうか。
 月・火曜はワイン飲み放題・時間無制限があることを事前に知っていたので、まずはそれを頼んで、つまみは「キッシュ」と前菜のようについてくる「パン」。
 「スパークリングワイン」から始め、「白ワイン」を中心に飲み、最後はよく冷えた「赤ワイン」を飲んでおしまい。時間は9時を回ってたな。3時間でたっぷり飲んだ感じ。

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