2009年10月31日土曜日

眠らない街

昨日は友人Yと恵比寿で飲んだが、最終がなくなり翌日仕事がある友人はタクシーで帰り残された(残った)自分は新宿で始発が出るまでの時間をぶらぶら過ごすことにした。

 腹ごしらえに南口方面のスタンド蕎麦屋で”コロッケうどん”。つゆの素を使っても自分で作ったほうが絶対うまい。
 さすがに2時を回ると南口はちと寂しいので歌舞伎町へ。

 まさに新宿。ミラノ座前の公園?は噴水もなくなり味気ない空間に様変わり。地球座は消滅。コマもとっくに閉まっており、プラザ劇場ももうすぐ閉鎖されるらしい。
 ここで見た映画は”ゴッドファザー”、”パピヨン”だったな。本数的には地球座のほうが圧倒的に多い。料金が3分の1で3本立てだったからだ。

 そこからすぐのところにアシベがある。ここで夜を明かしたことも何回かある。4.5階にあるビリヤード場がそこであり、エレベーターであがって見たらいまだ盛況であった。この夜はそれほど酔ってなかったがキュウを握る気力と体力は残ってなかった。調子が悪くなかったんでジムで10キロ走ってきたのが響いたようだ。

 博多ラーメン屋でラーメンとビールを。この店は以前友人Sと韓国料理屋の後に入ったことがあるが、そのときもそれほど酔ってなかったはずなんだが、この日はあまりのまずさに飛び上がった。酔いを吹っ飛ばすには十分なくらいまずいのだ。だが店は混んでいて、この味で儲かってるようなんである。
 まず麺は表現が出来ないくらいというより、世界中の悪態を並べ立てても足りないくらいまずい。スープは米の研ぎ汁に塩胡椒したもの?坊主憎けりゃ.....ゆで卵までまずく感じられた。ビールがなけりゃその場で脳血管障害を起こして大久保病院に運ばれていたろう。

 気分直しに飲み屋街を流してると300人の外国人の呼び込みに声かけられた。圧倒的に多かったのは肌の色が黒い人たちである。さすがにこの界隈にお姉さんたちがほとんど見かけないのは前回の一掃作戦が効を奏したからだろう。もっとも新宿から拠点を移しただけで東京全体から見たらその数は減るどころか........。

 4時も回ってから駅に向かった。始発は5時である。

 帰宅して10時まで爆睡。

 朝飯は特別まずいラーメンだったんで、昼は白菜をたっぷり使った”シーフード焼きそば”。

 そういえば昨夜のメニューは”豚しゃぶしゃぶサラダ”、”根菜の味噌汁”、”厚揚げの甘辛煮”。干しシイタケを作るため買ってきたシイタケの額があまりに立派だったんで切り取って薄切りにしてきんぴらにしたが味が濃くなりおかずには不向きなものに仕上がってしまった。

 今夜はお隣さんからいただいた”かぼちゃのおやき”を解体、牛乳を投入しバター、塩胡椒で”パンプキンスープ”にリサイクル。同居人行きつけのパーマ屋からいただいたフランスパンで”サンドイッチ”を製作予定。できれば”ベトナムのバインミー風”にしたいところだが、なますの材料が冷蔵庫に残ってないし、今日は会に行くのも面倒だな。

2009年10月29日木曜日

マンハッタン

 昨日はDVD 2枚鑑賞。”帰郷”。ストーンズにビートルズ、S&GとBGMは全て背景通りのもの。ベトナム帰還兵の話で、単なるお涙ちょうだいものでないところが今はやり物と一線を画すものである。

 Bダーンが良い。女房を寝取られる役がはまってるのは”華麗なるギャッツビィ”を記憶してるからかな?
 車椅子、リハビリの様子など介護の勉強をした視点から見ることが出来て、なお興味深かった。当時(40年前)はバリアフリーが意識され始めた頃で、物語の中でもその不便さが描かれていた。


 2枚目は”アニーホール”。W.アレンのぼやき物である。英語が分からなきゃその本来の面白さの半分も分からないんじゃないかと思う。さて自分は英語もほとんどだめなんである。それでも面白いんだから、英語がわかりゃソファから何回か落ちてただろう。
 それでも”P.L”の意味が分かった。パンティライン。当時のニューヨーカーが使ってたなんておよそ考えられないくらい陳腐な台詞なんだが。これも一流のジョークなんだろ。

これは30年以上前に有楽町スバル座(みゆき座かも)で見た映画。この親父のぼやきはその当時ただおかしかっただけだが、今見るとやたら感情移入したくなる。つまり苦笑いになってしまう、そういうことである。今見て古めかしさのかけらも見せない優秀な映画である。


 昨夜は区政改革懇談会議があり、2回欠席してたんで出席した。自分が考えていた改革の内容と食い違いが出てきてそのまま来年の春の任期が切れるまで欠席し続けてやろうかと思ったが、それも出来ずに出席してしまうところの思い切りの悪さが何人かの出席者にも現れていて、どうせなら結末まで同席して事の成り行きを見てやろうと思い直した。
 内容は町会の建て直しについて?のようなものである。

 帰り道、レンタル屋に寄り返却とタダ券が1枚分あったんでW.アレン物を借りてきた。



 その1枚を先ほど見終わった。何とぼやき物ではなかった。何とハッピーエンドじゃないか!

 ラストシーンの主人公の笑顔はチャップリンの”街の灯”のそれを思い出させるほど純情無垢の様相。意表をつかれた。このエンディングでこの作品は名作になった。
 白黒もこの作品には合う。音楽(ガーシュイン)ももちろん合う。


見終えてからも白黒の世界に浸りたくてブラインドを下ろしたままコーヒーを入れたんだが蒸らそうとして注ぎいれたお湯のしずくが落ちるのを見えないために聞き耳をたてて確認しなければならなくて不便した。

 見終えて飲むのはやはりコーヒーじゃなくカクテルだな。”マンハッタン”。
 

2009年10月28日水曜日

腰の調子が悪いときはウッディアレンに限る?

依然として腰の調子が良くない。今日も走れそうにない。
 そうなると1日3時間がぽっかり空いてしまうことになる。来年の3月までに引越しの支度をしなければならない事情があってもさすがに今から動き出す気はしないし。

 ということで昨日は会員証の更新も兼ねてレンタル屋へ出かけついでに3枚DVDを借りてきた。引き続きアカデミー賞脚本賞受賞作を探して、この店には80年代のものはなく、70年代に絞った。

 1.ミッドナイトエクスプレス
 2.帰郷
 3.アニーホール

1.2は初見である。3は亡妻と見たもの。ぼやきのW.アレンの作品。

 早速昨日は1を鑑賞。トルコでの麻薬国外持ち出しで逮捕されたアメリカ人主人公の脱獄までの話。中国なら即死刑なので、そのことの起こりからして恐怖感を感じなかったんで、不当に扱われ国の施策で罰がより厳しくなっても主人公に同情できない以上感動も薄れ、刑務所内でのいざこざの鑑賞という程度のもの。脚本の良さもよく分からなかった。
 ただ、トルコは魅力的な国に変わりはない。

 昨夜のメニューは”生かじきのソテー、クリームソースのせ”、”卵とブロッコリーのグラタン”、”ベーコンとたまねぎのスープ”。

2009年10月27日火曜日

鴨南(京)

今回もカメラを忘れ後悔した。日曜日の料理教室のことである。
 久しぶりの料理教室で案内をよくチェックせずに出かけ会場を間違えたことからして散々ではではあったのだが。

 30分ほど遅刻して合流し、すでに進行している(というより朝から仕込んであった)”塩水鴨(イエンシュイヤー)”を見て驚いた。2羽の鴨が大鍋の中で茹で上がってるではないか。

 講師は南京出身の女性である。南京料理は鴨中心であるといっても過言ではないほどよく食べられてるそうである。

 他には鯛の頭を炒めてからスープにするもの、長いもと海老と野菜の炒め物、きゅうりの簡単な和え物。家庭料理らしい組み合わせもよろしい。

 完成後食す段になって講師が鴨の首を希望者に分けてくれ当然1番に手を上げいただいた。


 美味い!

 調味料は全てそろっている。挑戦したくなった鴨!

2009年10月26日月曜日

ダウンサイジング

 収入がへりゃ支出を減らせばいいんである。そこが変化できないところに国家予算の矛盾が露出してるわけだ。
 3食+宴会を2食+家飲みにすれば良いわけで、おっつかなきゃ更に減らす。我が家の家計を見習って欲しいものである。


 朝から台風の影響で天気はひどいことになってたんで出来れば外出したくなかったが、水泳教室があるついでに買い物を済ませ午後はじっくり台所で製作しようと考えた。
 メインは筑前煮。こんな陽気になると食べたくなる1品である。

 帰宅してから、点検したところ3品買いもらしていた。2品なら強引に、と思ったがさすがにあきらめた。仕方なく余った時間は読書に費やすことに決め込んだ。とりあえずだし汁のストックを製作。

 1.サツマイモの甘煮。
 2.糸昆布(だし汁の)とじゃがいも、人参の千切りの和え物。
 3.白菜(白い部分)の和え物。
 
 2.3とも中華料理のレシピによるが、現在良く利用するものである。お隣さんの分も製作。

 4.豆腐とたらこと水菜の煮物。
 5.キャベツの味噌汁。
  
 4.5は今晩のメニュー。

 6.メカジキのソテー(下ごしらえ、弁当用)。
 7.ふりかけ(だし汁製作時の鰹節で、塩とごまとで)。

 更にお隣さんから”豚肉と白菜の炒め物”とかぼちゃ、ぶどうをいただく。
明日は”筑前煮”、かぼちゃで1.2品。先日いただいたじゃがいも(ネットでその品種に合う調理法を検索した)で1品を製作予定。

2009年10月25日日曜日

じゃがいも3兄弟


お隣さんからのいただき物である。実家が北海道にあることから時々北海道の物産をいただく。しまえびもいただき物で知った”うまいもの”である。
 さらににんにくもいただいた。我が家に久しぶりに入荷した国産のにんにく。

デパートでは奥の手として使われるという”北海道物産展”。外れることがないそうである。売り上げが足らなくなると必ず引っ張り出されるらしいことを関係者から聴いたことがある。

そういえばモンゴルで北海道に行きたがっていた少年に会ったことを思い出した。あれだけの広大な草原(砂漠も目立ったが)に済む彼らにとっての北海道に対するイメージってどんなものなんだろうか。

自分にとっての北海道のイメージはやはりじゃがいもかな。これをふかして北海道バターをつけて、サッポロビールで......。


にんにくは火鍋のためにとっとこう。友人Tさんの奥さんから伺ったレシピによるものである。

2009年10月23日金曜日

大根3兄弟

先日つくばエクスプレスでの帰り秋葉原の1駅手前(新御徒町)で下車したところそこが商店街の入り口で酔いに任せぶらぶらしてたらなかなか気分が良かったんで再度来てみようと思い、今日の午後は天気も良くなり夕飯のめども立ってたんで決行した。

 京成上野からアメ横を抜けJR御徒町を横目に昭和通を渡り、近づくにつれ先日の記憶ではなくもっと以前の記憶が蘇った。このあたりは以前もぶらぶらしたことがあるところで、目的地に着いたときにはそこが以前近くまで来たところの通り1本違いに存在してたんである。

 やはり酔ってたんである。実際はシャッター商店街の例に漏れないアーケードのそれであった。さびしい限りである。こういう商店街は酔ったときの散歩に限る。入り口(出口?)の喫茶店からいきなり拒否されてしまった。コーヒー豆専門店で豆を挽いてる間約20分は座ってコーヒーを飲めるそうだ。自宅には蓋を開けたばかりのイノダコーヒーがあるから、豆を買うわけにはいかないんで、ちょうどコーヒーが欲しかったんだがあきらめた。

 その商店街にあるもう1軒の喫茶店はタバコの煙がくゆってたんで入れなかった。

 結局帰りの京成上野のプラットホームで自販機のコーヒーで済ませた。

 おっと、帰り道アメ横のセンター地下で買い物したんだった。”ガドガドソース(インドネシアのピーナッツソース)、ピータン、火鍋のスープ(村珍では辛いのしかなかった)”。上海蟹が山積みになってた。
本物のハマグリが1山500円で売ってた。やはりここは日本ではない。



 金達寿(キムタルス)の”古代日本の朝鮮文化”を読み終え図書館に返しに行き、”学校で教えない日本史”を借り、かなり読んだ。”差別”の歴史が興味を引いた。
 夕刊の新刊売れ行き情報でも野中ひろむ氏の”差別”に関する本が売れているらしい。格差が目立つようになって、というより立場が変わった人が増えたことにより格差を唱える人も増え、それが差別まで発展するんではないかと危惧する人が増えたということであろうか。時代が戻っただけの話だと思うんだが。
 もっと格差が進むと食うためにやらねばならない仕事が人から忌み嫌われるようになれば、まさに時代は戻ってるんである。しかし現代に人に忌み嫌われる仕事ってあるんだろうか?


 今夜のメニューは”大根、春雨、にら、イカ団子のスープ”、”大根、カニカマ、わかめのサラダ”、”べったら漬け”と大根3兄弟。

 明日の分として”白菜のボルシチ風”、”パスタサラダ”も製作。

2009年10月22日木曜日

秋には芸術とスポーツ

 やっと全部そろったアントニオカルロスジョビン(ACJ)のCD、何枚か音が飛んだり止まったりするんでプレイヤーのせいにしていたところ長男にみてもらったらどうやらCDの扱いそのものに問題があることが判明。要は汚れた手で読み取り部分を持ったりしてはいけないこと自体知らなかったということである。

 そこで、ACJと小野リサの全てのCDをチェックしながら手入れをしたところ、とにかく汚れていたんで我ながらあきれた。調理しながらCDを交換してたりしていたのがほとんどの原因である。

 とりあえずCDの持ち方を変えることで最悪の事態を回避することにした。


 今日はジムで1時間スイミング。先週小生の鼻栓のことについて話しかけてきた方にまた会い、また話しかけられた。内容は先週聞いたこととほとんど同じだった。とりあえず口呼吸が出来ないと泳げないことを確認してもらった。
 その方は隣のコースで水中ウォーキング(には鼻栓は不要なはずだが)をしていて、1時間後ロッカーでまた会い、小生の50mのタイムを計っていたと言われた。確かに人もまばらでその中歩くだけじゃ暇だったってことは想像つくが。

 その彼がいうには1分30秒、後半は1分20秒ということだ。とすると1時間で約40往復、2kmということになりますか。数えたことがないんで、思ったより距離泳いでないんだなってのが実感。

 今夜は同居人が友人(?)と外食のため、1人残飯整理。

べったら足

 20日は実家で老夫婦の介護申請にかかわる調査(面談)に立ち会った。およそ教科書どおりの質疑応答に終始していたので目新しい発見はなかったが、やはり勉強しておいて良かったことを実感した。

 午後は帰り道日比谷線で小伝馬町まで足を伸ばし”べったら市”をぶらぶらした。同居人の好物で、ここで買うと割高にはなるが神社お参りついでに1本求めた。朝顔市やほうずき市のように季節感があってぶらつくのも楽しい。

 今回目についたのが”中国おやき(餃子をせんべいにしたようなもの)”、”タイラーメン”、”トッポッキ”、”インド料理”などエスニック系が多かった点である。

 この日は多少前の晩の酒が体内に残っていたようなんでもつ煮で一杯とはいかなかったが、やはり飲みたくなる雰囲気が漂っている。時間が早かったが陽が傾きごろになったら、ほろ酔いで漂いたいものだ。


 さて、昨日は久しぶりに10キロ走った。前回も感じてたが呼吸が非常に楽になってきていたんで腰さえ痛くならねば走る自信はあったが、この日は大丈夫そうだったので。
 やはり7キロくらいで若干腰から下に痛みを感じたものの速度を落としたら楽になったんでそのまま完走。55分。

 これでビールを美味しく飲める、と思ったがこの日も禁酒。家飲みは友人を招いたときだけにしよう。なるべく。

 昨夜のメニューは”白菜サラダ(不好評)”、”お隣からいただいた春雨の炒め物”、”白?はまぐりのお吸い物”、”おからの炒り煮”。

2009年10月20日火曜日

家飲み2題

17日土曜日は友人宅で飲み会。この日が解禁日になった。実に酒を口にしたのが17日ぶりということだ。ここ数年で初めての出来事かもしれない。

 さすがに日曜日は休肝日。久しぶりにこたえた。

昨夜は友人2名と同居人の4人で自宅で飲み会。今回始めての試みだったんで、自分の得意とする料理をメインに中華でまとめて見た。仕上がりを写真に撮るつもりがついビールに手が伸びて、それっきりになっちまった。

 メニューは以下である。

1.東ポウ肉(とんぽうろう、豚バラの角煮)
2.シジミの醤油漬け(台湾の名物料理、点心の本から)
3.春雪初緑(ピータン豆腐、前菜)
4.鶏肉とくわいの炒め物(くわいは中国産の缶詰)
5.沙拉筍片(筍のサラダ、タイ産の缶詰使用)
6.白菜の花椒入り醤油だれの和え物(栗原さんのレシピ)
7.砂肝の八角煮(先日の作り置き)
8.青椒肉スウ(レトルトのたれを使用、半分捨てた、味が濃すぎるのだ)
9.同居人用  塩鮭の炒飯
10.同居人用 コーンスープ


ビール、赤ワイン、友人からいただいた澤の井季節限定品を冷で。酔ったぁ。

このメンバーでの次回の飲み会は火鍋に決定!

2009年10月17日土曜日

名前の由来

 先日実家の近く(といっても自転車で20分弱)にある100円ショップで珍しい名の店員さんがいた。もちろん読めなかったんで尋ねたりしたわけだが。
 ”與呂”この呂の左に木へんがついて”こおろぎ”と読むんだそうだ。九州のある場所に多い名前だとか。

 早速調べたら、九州は宮崎に多い名前だそうだ。しかもそのルーツは百済の王様の名前にも関係があるんだそうである。ここで百済が出てくるとは思わなかった。

 ちなみに虫のこおろぎは漢字で”蟋蟀”。中国語も同じであった。

2009年10月16日金曜日

東ポウ肉(トンポウロウ)への道

 池袋で大出血サービス! 献血完了。年2回を自分に課したノルマも無事完了。このくらいの頻度で継続していると69歳まで献血できるそうである。60までだと聞いていたので今日確認したところの返事であった。
 2週間禁酒した効果がどういう形であれ結果が出るのが楽しみである。ちなみにここでの血圧も正常そのものであった。それでは2週間飲み続けた結果も見てみたいが、過去それに近い状態で献血してたんで意味ないことだと思い、やることもないだろう。


 帰りに北口の”知音食品”で買い物。”白酒(天津産で63度)”、”松花皮蛋(この名がつくと高級品のはずなんだが...売価からすると怪しい)”、”臭豆腐(食べ方を教えてもらうために敢えて買ったがビンからもにおいそうである)”、その他自家用にロンジン茶、凍頂烏龍茶、菓子など。油条(揚げパン)もあったが製造日が不明なため購入にいたらなかった。

 午後4時から2つ先の駅の商店街にあるスーパーで豚ばら肉ブロックの特売品を買いに出かけた。帰宅後即調理開始。おからとねぎの緑の部分、しょうがの皮を加え30分ゆでこぼし、その後調味料香辛料で2時間煮詰めて完成。トンポウロウである。八角のきいた煮豚である。
 味が辛めに仕上がったが油の部分がうまく出来上がった。まさにとろとろである。約400gのブロック2本、内1本は自家消費、1本は明日友人宅へ持参するつもりである。舌の(も)肥えた友人のその舌をとろけさす計画なんだが.....。

 今夜のメニューは”じゃがいもベースのチジミ”、”みょうがとタマゴのの味噌汁”、”レタス、わかめ、トマトの和風サラダ”。

2009年10月15日木曜日

セルフメデ...めでてぇ.....しょん

何と2週間に及ぶ苦行を成し遂げたんである。今月1日から1滴も口にしてないのだ。

 酒

何て魅力的な響きであろう。人類が発明した最高の物質である。使用法さえ誤らなければ人に幸福感をもたらすものとしてこれ以上のものはないだろう。

 こうして書くと   核   と似ているような気が......。


まっ、とりあえず2週間朝晩と血圧を測り記入して今日の診察で若い女医さんに見てもらうだけのことであるが、その結果いわゆる高血圧の兆候すら認められないということだ。一応若い女医さんの前で血圧が上がれば体面なんとかという証明になるので計測して見たが、泳ぎ終わって30分しかたっていないんで影響があるかも知れぬと思ったが、結果はいたって正常。


 明日は献血しに行くので病院での採血検査は辞退した。今度はメタボ撲滅のための数値の把握のための献血である。2週間の断酒が功を奏すか?
 要は数値を気にしながら飲む、ということになりそうだ。
現在パターン化しつつある、ジョギングを中心にしたトレーニングの翌日はスイミングという方法で身体の調子も良いのでしばらくこれも併用してみよう。


今夜は奮発して”すき焼き”。三ノ輪にある松坂牛専門店の月1回の特売日と重なったんで決めた次第。

2009年10月14日水曜日

中国語初歩の初歩

ジムで、ストレッチを終えロッカールームへ入ったら小学3年くらいの男子が自分のロッカー近くで座り込んで何かしていた。近くに寄ったところ、いきなり”ニィハオ!”。面食らったが”ニィハオ”を返してから、この子は中国語を習ってるのかなと思ったが一応”ニィシイチョンゴウレンマ?”と尋ねたところ、まさしく中国少年であった。
 彼は中国語も早いが日本語も早い。ちょっとやり取りしてから、彼はジムのほうへ、自分はシャワールームヘ向かった。彼は”オヤジが裸だ”みたいなことをぶつぶつ言いながら向かった。”トイブチー”???何であやまらにゃいけないんだ?とっさに誤った俺はあほな日本人である。

 今夜のメニューは”たけのこのカレークリーム煮”、”ジャガイモとハムのサラダ”、”エリンギの網焼きかぼすかけ(マツタケの代用?)”、”ふかひれスープ(インスタント)”。

老化についての考察 その1

老化を実感した。
先日長女の所で夕飯をご馳走になり、帰りは連れ合いの運転する車で宅まで送ってもらったときのこと。夜なので体感速度が速くなるということは分かっていても、速さについてゆけないというのが実感であった。メーターを見ても特に早いというわけでもなく周囲とのバランスも悪くなく、流れに乗る安全運転の部類に入るものなのだが、これが動体視力の衰えなのか、と思った。
 ニュースでは70歳の者が乗ったハンググライダーが着陸失敗で腰の骨を折る大怪我を負ったことを報じていた。想像するに、飛んでいる間は確かにのんびりムード、スピード感も地上のそれとは違うと思う。ところが地上に近づくにつれスピード体感は早いものに感じられるはずだ。
 着陸失敗は操作ミスであることを伝えていたが、ちょっとしたアクシデントに対する対応が遅れただけだと思うが、それが命取りであることは当人も分かりきっているはずなのだが。まっ、これも老化である。周りが早いんじゃなく、自分が遅いんであることを認めにゃならんわけだ。いそがb

 のんびり老後の趣味を楽しむ、といっても基本動作自体老化とともに出来なくなるので、危険が伴う趣味は再考が必要になるのは何も60代でなくとも自分のようにそれ以前からかも知れない。

 昨夜のメニューは”お隣からいただいた干物”、”青椒肉スウ(レトルト)”、”大根味噌汁”、”これもお隣からいただいた釜揚げえびを使った湯豆腐”。

2009年10月12日月曜日

檸檬

 梶井基次郎の短編である。かなり以前に読みかけた短編集の表題にもなっている。
 
全然記憶がなく、今回読み返ししてみてこんなにうまい小説だったのか、と感嘆した。続く”城のある町”も素晴らしい。

 この本を引っ張り出してきたのも先日読み終えた井伏鱒二のおかげである。乱読は楽しい。

 同居人も休みなんで今日はまるで暇。現在台所では”砂肝の八角煮”が煮込まれている。

2009年10月9日金曜日

泳ぐように走りたい?

今夜のメニューは”麻婆豆腐(クックドゥ)”、”ほうれん草の味噌汁”、”春雨と白きくらげのサラダ”。サラダが同居人に受けたなぁ。”失敗する要素がない”ってコメント、よく考えるとうれしくない?

 今日は午後ジムのプールでクロール1時間。肺活量アップのために始めた水泳。ランニングはむらがある。火曜日は楽だった30分、昨日は楽ではなかった。
 それに対し水泳のほうはどんどん楽になってきている。もともとペースの遅い(早くできない)泳ぎ方なんで、1時間以上は泳げる自信はあったが、プール利用料金が2時間単位なんでこれ以上の記録は出ないし、記録そのものも意味がない。しかしもっときれいな水のプールで泳ぎたいものだ。
 そういえば荒川のマラソン大会を見たとき、あれだけの参加者のいる中で前へ出ようと思ったら、人の海を泳ぐつもりで走らねばならないんだろうな、って感じたことを思い出した。

 明日は茨城に出かける前にM駅の近くにある赤00堂(毎週土曜日が肉ブロック特売日)で豚バラブロックを購入して、茨城で煮豚を製作する予定である。長男から教わった下ゆで時におからを配合するという方法で、前回素晴らしく柔らかい仕上がりになったんで、そのおさらいをしようというわけである。19日にマンションに友人を呼んでパーティーを催すんで、その一品に加えたいのである。もちろん自信作として。

2009年10月8日木曜日

働き出した”栞”、働き出さない我。

二冊の本をほぼ同時に読み終えた。”日本のコリアをゆく”と井伏鱒二のエッセイである。
 前者は現在最も興味のある古代日本と大陸との関係に深く食い込まない軽いタッチの読み物である。この本の中で特に目新しい情報はなかったし、情報を集めるために読んだものでもなかった。

 小学生のころ、小学校の裏の畑で土器や石器を探したことなど、今頃になって思い出してどうすんのって?やはり、昨年の奈良への再訪がきっかけになったようである。それ以前からも国内の神社の成立には興味があったんで、まぁ少しまじめに本でも読んでみるか、ということになったわけであるが、その最初が軽めのものに落ち着いたわけである。

 後者はほとんど釣りに関する話。手を染めかけてやめてしまった趣味?のひとつではあるが、文字で読むものは本当に楽しい。今でもヘミングウエイの”陽はまた上る”の渓谷シーンを読み直したいくらいである。

 今夜のメニューは”もずくのチャンプルー”、”なめこの味噌汁”、”かぶの葉とじゃこの混ぜご飯”、昨日作った”おからの炒り煮”、”白菜のゆず漬け(自作)”。
 食後に(夕飯は6時から始まるんで...終わるのも早い)お隣から”かぼちゃとゆで卵のサラダ”をいただく。これは明日の朝のメニューにゲストで出演である。

2009年10月7日水曜日

失業者(で~んとしているもの)の憂鬱

 台風で大騒ぎしてるのは同居人。授業が遅れるかもしれない、非日常がそうさせてるんである。そういえばいつも行くスーパーのパンが異常な売れ行きをしていた?
 こちらは今晩のメニューがクリームシチューなんでフランスパンかバターロールを買いに行ったが、売り切れである。今朝も同店に買い物に行ってたんで確かにあの時点ではあったんだが。

 もう1軒のスーパーにも寄ったがフランスパンは売り切れ。仕方なく給食パンをふた周り小さくしたようなパンを買って帰ってきた。

 さて台風で閉じ込められても食料の備蓄は完璧である。逆に完璧だから面白みもないし、当然緊張感なんか生まれるはずもない。


 今日は茨城から持って帰ったお芋3兄弟(サトイモ、ジャガイモ、サツマイモ)の調理やその他で台所の時間が長くなったが、しっかりジムのプールで1時間泳いできて身体の調子も良くなってきた。

 製作したものは     ”スィートポテトパイ”、”おからの炒り煮”、”サトイモのクリームシチュウ”、”焼きかぶのサラダ”。

同居人の弁当、朝飯、昼飯等作ってると、沢山作ってる気がしたんだが、書き出して見るとたいしたことないよなぁ。後者2品は夕飯分だし。

長靴をはいた....


連日32度だった久米島がなつかしい17.8度の東京。危うく難を逃れた17号を押しのけ18号が上陸しそうな台風の状況であるが、こんなときでも外出せねばならぬことが多い。

 昨日は訪問介護業者からの呼び出しに応じ面接を受けてきた。その午後はジムへ。やはり雨の中である。


 そこで最近使い始めたのが長靴である。昨日も女性がはいていたのを2人ばかり見かけた。ただしデザインが良いもので自分のものとは隔世の感あり。

 カポカポ音がして、格好悪いなぁとは思うが実は他人からみれば似合っているのかも。水溜りに入って遊んだ子供のころを思い出す。目一杯まで深いところに入るのがスリルがあって面白かった。昨日もわざと入ったがそんなに深い水溜りが今の都内にあろうはずもない。いや、台風が上陸すれば出現するかも。

2009年10月4日日曜日

オヨヨの4日目  久米島











 帰る日の前日はフリータイムを1日とるというスタイルにしたのはいつごろからだろう?ダイビングも悪くないが、どちらかというと時間を気にせず1日ぶらぶら出来るこの時間が大好物である。








 徒歩で比較的近い久米島自然文化センターへ。ここで島の歴史や風土の特色などを学びながら、島を歩くという優等生的なフイールドワークである。自分に向いてない始まり方をしてしまった。




 山もあることはあるんだが自分が歩いているところがそうだとは気がつかぬ間に山らしきところを歩いていた。要は迷ったんである。




 うっすら太陽は当てにならなかった。磁石を見て確認したら、方角的には間違ってなかったんだが、なんせ道がそちらに向いてない。仕方なくくねくね歩くしかないんである。








 道は全てサトウキビ畑の中。3mはあるサトウキビ畑に入ると風は止み、暑い。蝉は変な鳴き声だ。”ジリジリグエッグエッ”とか”レンレンレン”とか。やはり島なんである。









 しかもいたるところに大きな墓だ。山や崖を削って作られている大きな墓が目につく。ほかの島に比べても大きいものが多い気がした。






山を抜け、なだらかなだらだら坂を下りるとそこは仲里。ダイビングショップがあるところで、島の中心地に当たるところである。ホテルからは車で10分程度。こちらのホテルであれば一昨日のように飲み屋を探す苦労はしないで済んだのに。






 生協COOPでドリンクとりんごとアンパンを購入。果物がとれないんで毎日商店でバナナとりんごを買って食べている。なぜかりんごが美味い。この昼は食欲がなく、腹が減ったらいつでも食べられるようにアンパンなんである。






 奥武島への橋を渡り、観光名所になってる”畳石”を見物。そして徒歩で浜を歩き、島を一周した。小さな島で、それでもサトウキビだらけである。この島の先には、この島の売り物のひとつの”はての浜”という砂浜がどこまでも続く無人島がある。



 前日の予約で行けるらしく、今朝フロントにたのんでみたがだめだった。昨夜は酔っ払ってたんで予約を入れ忘れたんである。






 そこから先さらに西部へ進み、2.3の観光名所を見た後”ゆいまーる”という名の特産である紬工房と展示館が一緒になってるところを見学した。






 さすがに疲れたんで島の路線バスを使ってホテルに戻ることにした。バス停で確認すると右回りと左回りにバス停が分かれていて、ともに1日に5便程度の運行であり、このときは10分ぐらいで来るようになっていた。左回りだとかなり遠回りになるが、一昨日回ったところも通り、これで島1周したことになる。



 客は地元の人と2人。運転手が気を使ってくれ、観光名所である停留所でアナウンスしてくれたが、こちらが下りる気配がないことから、逆に行き先を聞かれたので答えると、次からどこを通過してもバス停の名を呼び上げることはなく、地元の客が降りてからもそれはなかった。



 さて、自分が指定した場所についてもバスは通り過ぎて止まる気配がなかったが、次の停留所の手前で思い出して停まった。しかし、その場所のほうがホテルの目の前だった。自分の勘違いであったが、運転手のミスに助けられたわけである。



 島のほとんどを回るほどの遠回りのバスツアー、料金を尋ねると200円。バスから見る景色も良かったしもうけものであった。









 風呂浴びて、島で1件しかない中華や”海皇(はいふぁん)”へ。実は奥武島のそばで車えびの養殖場を見て、無性に車えびが食いたくなってたんで、ほかの飲み屋も候補に上がってたんだが、ここにしたんである。






 まず、生と”ピータン(200円)”、”水餃子”そして”車えびの唐辛子炒め(絶品!)”。生のおかわりに”海鮮焼きそば”。これが余計だった。腹は膨らむし、第一具材が良くない。あきらかに冷凍品である。小エビとイカのカット具合でわかる。



 めげずに”美ら蛍(久米島の3年古酒)”を一合。これに水と氷がついてきた。このスタイルがベストであり、石垣でも宮古でもこのスタイルで飲んだときの気分が良かったんで救われたぁ。



 それに加え、窓からサトウキビ畑が眺められるし、焼きそば以外は申し分なし。






 これで久米島の旅は終わり、明日の夕方は東京である。









 東京に戻ったのが30日の夕方、同居人の晩飯を製作後四谷まで出かけ友人Tと飲み会。ちょっとハードだった6日間であった。






久米島3日目







3日目も二日酔い?でダイビング。1本目で潜行途中でマスクのベルトがはずれた。もうそろそろ変え時か?



 2本目はギンガメアジの群れを囲んだり、カマスの群れに遭遇したりして残圧に注意をはらわずにいて、安全停止の段階でほとんどゼロ。吸い込みが悪くなって初めて気がついた。ガイドさんのエアーを分けてもらい、すべきこともなかったんで腕を組んで停止していた様子がこっけいに見えたらしく、エキジットしてから関西のダイバーにやたらからかわれてしまった。






 海のコンデションは非常によく、午前と午後に1本づつだったんで体力的にも余力があったんで、3本目も楽しんだ。エントリーする前からイルカのお出迎えがあったりして。









 ホテルに戻り、日曜定休のレストラン”竜”へ。小島なんとかというタレントの親戚の店だそうで、そのタレントをはじめ芸能人の写真やらサインやらがやたら貼られている中から”仲宗根美樹”という懐かしい名を見つけた。自分が中学生だったころはやっていた歌謡番組などに出演していた流行歌手である。名前からして沖縄出身者であろう。



 野菜不足なんで注文したのが”ゴーヤーと島豆腐サラダ”、”もずく”、”枝豆(300円でこの量の多さに驚いた、しかも美味い)”を生2杯と久米島の水割りジョッキ(多い!)。






 そこでタクシーを呼んでもらい再度ダイビングショップへ。ログ付けしながらの飲み会に参加するためである。久米仙30度の水割りを3杯ほど。



 ホテルに戻り、ベッドにダイブ。

久米島日記 2日目











2日目は二日酔いのままダイビング。エントリーしてから気がついた。3月に潜って何のトラブルもなかった器材、実はそのときはレンタルだったんで去年の夏の石垣以来使用してなかったことを。








 若干不安を残しつつエアーをかなり食って一番最初のエキジットになりました。あがったら誰もいなかった。今日のこのショップは繁忙らしい。








 海のコンデションは普通だが透明度は30mはありドロップオフもなかなか良い。しかし点検を怠ったため水中ライトが点灯せず。








 午前中2本のスタイルとなり、ショップに戻りビール&食事。












 午後はホテルに戻り、自転車(無料)を借りて島の東部を散歩した。無料とはいえ油は3年ぐらい差してないようなママチャリは山がありアップダウンのきついこの島のサイクリングにはまるで向いていない、と気がついたときすでに遅かった。しばらくは平坦地を散歩していたからである。








 本島では手に入りにくい”久米島”の蔵元である”米島酒造”を見学。とても小さな蔵元で、見学者自分ひとりに案内が一人ついてくれ、製造工程を一通り案内してもらった。最後は事務所のようなところで2.3人がラベル張りを手作業で行っているところを見せてもらった。




 まさに手作りの酒が作られ、ゆえに島内での消費分の製造でていっぱいだそうである。








 上江洲(うえず)家(名家らしい)。この名も島内では珍しくない。本当に風通しの良い家であることが分かる。昔の人は家の良さの基準を風通しにおいていたということだ。












 島の観光地である鍾乳洞は、観光地化されてなくて、もちろん無料だがその代わり中へは暗すぎて誰も入れないんじゃないか?勇気を出して一歩踏み入れたとたんこうもりの羽音で、くじけた。












 その先、2.3の観光をして、最終目的地である”久米仙”の蔵元というより工場へゆく手前のパイン園で小学3年生くらいの女の子の接客でパインジュースを飲んだ。








 前述したとおり”工場であった。












 全身汗まみれになって帰還。入浴後、街へ。今夜は日曜日で飲食店はほとんど休みで昨夜行った店とスナックっぽい感じの飯屋の2軒しか選択肢がなく仕方なく後者へ。








 生、久米島の水割りを2杯、韓国のり(量が多い)、いかげそフライ、タマゴ&ポーク(玉子焼きとスパムを炒めたもの、なんじゃこりゃ?)、久米島そば。

2009年10月1日木曜日

モスキート沖縄戦開戦

那覇で乗り換え久米島に到着したのが夕方6時近く、それでも太陽が地平線上にあり、ホテルまで4.5kということで歩き始めたが30分で暗くなり、天気が良かったのが幸いしてなんとか歩道を歩き続けることだけは可能な状態でさらに30分歩きとおし町らしき土地を通り抜けそうになり、近くまで来ていることを確信し待ちのはずれにあった居酒屋”喜八”に突入。

 ”サクナ(青菜)の和え物”、”豚足の塩焼き(期待したが石垣のそれには及ばず)”、”唐芙蓉”、”ヒスク豆腐(おなじみ小魚トッピング奴)”、これらを生2杯、久米仙2杯で。

 テレビではローカルニュースで運天さんという方がつりに行って死亡したことを伝えていた。


 勘定のときにホテルの所在地を尋ねたら、やはり徒歩2.3分のところにあった。


 フロントでチェックインしてシャワー浴びて、そして何時にベッドに入ったんだろうか?3時ごろ蚊の羽音で目覚めた。
 ガラス戸を開けてあったが、カーテンは閉まっていたんで油断した。部屋の明かりを全てつけてから戦闘状態に入った。約10匹を撃破したが、何匹かは大量の血(俺んだ)を俺の手の中に吐き出し、何匹かはシーツやカーテンに撒き散らした。
 かなりの血の量であったが、かゆみがないので沖縄の蚊は毒を持っていないんじゃないかと思ったくらいだ。
 あるものは股間に攻め込んできて、張り付いたところを撃破したので、まさにその部分が血だらけになってしまったんで再度シャワーを浴びたりして、そのまま7時まで起きてしまうことになった。

 

 帰宅して今日から健康週間の始まりで、午後はジムで汗を流し夕飯も沢山食べないよう気をつけたり、今朝から同居人の弁当作りも再開したんで、かなり疲労気味である。旅行記の2日目以降は明日にしよう。
 今夜のメニューは”タコライス”、”もずくスープ”、”かまぼこ”。いずれも久米島のスーパーで買ったものであるが、かまぼこは不人気であったし、確かに美味くない。