2016年1月22日金曜日

崖に落ちた老者ども

 1月21日。

 先日、大雨(東京では最初大雪)の翌日、帰宅途中の公園で珍しいものを発見した。
「砂紋」である。砂漠や海底の砂地で見られるものが、こんなところでも見られるとはな。枯れ葉、それも細かいものたちが雨水にながされてできたものだが、公園中のあちこちに見られるくらいだから、その日降った雨量は相当のものだったと想像できる。砂紋もいいなあ~。

 が、やなこと2つ。現代社会のひずみがよく出ている事件が続く。 まずは廃棄食品の大量横流し。これは実に多くの問題をはらんでるものだ。ひとつは食べられるものまで捨てているという大量生産大量消費構造が一向に改まらないばかりか、企業生き残りをかけて更に激化しているという事実である。もうひとつは横流し業者の陰湿な儲け方であり、これが利益を生んでいるという事実である。生産業者も廃棄業者も、そしてそれを知っていて購入する業者も更に陰湿だよな。こいつら腐ってるよな。
 高齢者ドライバーが起こしたバス事故。これも多くの問題が噴出した事故だった。まずは高齢者がこうした過酷な仕事につかなければならないという現実。そして、ろくに教育もせずに安い賃金でこき使うバス会社。安値ばかりを追い続ける利用者が多いためにこうした歪んだ業者が増えているという「鶏&卵」状態の消費優先主義末期社会なのは前記の事件も同じだ。 誰も彼も悪い?
 石油価格が下がり、株価が下がり、多くの奴らが損失を出しているという。それでも誰かが裏で大儲けしているという社会が続く限り、こうした末端での悲惨な事件は起こり続けるんだろうな。お~やだやだ。

 昼食はスーパーでの処分品の「お切り込みうどん」。なんでも群馬県名産らしい。見た目はきしめんかほうとう。まあ原料は同じで呼び名が違ってるということだ。煮込んだほうがお美味しいということで大根・人参・長ネギ・油揚げなどと煮込み、これまた処分品のほうれん草の茹でたものをトッピング。
 午後は弓道。仕掛けを調整した弦に変えたせい?か、この日は当たりがよく出た。当たりが5割と安定してくれば、作法をしっかり覚えて3段試験を受けられるだろう。と、考えてないわけでもないが、高い受験料払って昇段してもしょうがないんじゃないか、とも思ってる。
 そんな持論のN先輩の話を更衣室で聞かされた。会った時から感じてたんだが、彼は周囲の人とは明らかに違っていた。 弓道に対してかなり冷めた考えを持ってる。巻藁稽古は一切しないし、射の動作もかなり癖が強く、当たりも一定していない。が、もちろん作法は身についていて、当たりの確率も俺なんかの比じゃない。多分先生のアドバイスも軽く聞き流してきたんだろう。誰かがN先輩に対してアドバイスしているところを見たことがほとんどない。まさに我が道を行っている。まだ、それほど口を交わしてないが、察するところ多趣味でもあるらしい。そんな感じがする。

 この日は前日延期したNAD。夕食のメニューは「肉味噌」、「納豆」、「さつまいもとたまねぎのごま味噌汁」、「ブロッコリーの塩レモン和え」。肉味噌はサニーレタスに包んで食べる甜麺醤を使った辛くないもの。納豆にはブロッコリーの茎を混ぜてかさ増ししたもの。

 食後、この日作った「さつまいもしるこ」を食べながらDVD鑑賞。 1969年「地獄に堕ちた勇者ども」。L・ヴィスコンティの傑作であるばかりか、資本主義の崩壊を予見した作品としても優れたものだと思う。ドイツ鉄鋼財閥の一族内紛がナチスに操られたものとして描かれ、最後はナチスの思うままにされてしまうというお話。資本家が左翼思想を抑えこむことばかりにかまけていて、ヒトラーの台頭に目をつぶっていたことがドイツをナチス化させてしまった。つまり責任は自分たちにあるという自嘲気味のセリフは胸に迫る。まさに現代社会がそうなりつつあるからだ。実際の黒幕は目に見えないものであり、世界何百人の大富豪のそのまた上に誰かいるに違いなく、あまたいる資本家なんて所詮あやつり人形みたいなもので、敗れ去る奴は首をつり、勝ったものと思わされたものもいずれは流されてただけと気がついた時にゃ墓ん中さ。そんな奴らの下でこき使われて、挙句の果てに転落事故なんて御免被りたいね。
 あまりにもおどろおどろしい内容に、さすがのM・ジャールも持ち前の壮大なスケールの音楽を全面に出すことができなかったようである。最初は「アラビアのロレンス」を彷彿とさせるような出だしだったんだがな。音楽はともあれ、作品自体は傑作である。

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