2013年12月18日水曜日

那覇から近くの島々へ(11月の旅日記)

11月6日。夕方那覇に到着。
ホテルの出入り口近くにある自動販売機をのぞこうとしたら、ちょうど買いに来ていた男の子(大学生くらい)が、スロット式のサービスを当てたらしく、自由に選べるもう1本の権利をなぜか俺にくれた。一度は辞退したが、2度も進めてくれたら断るのも悪いと思いご厚意に甘えた。
 来てそうそういいことがあるもんだ。

 ホテルからすぐ近くの食堂で夕飯。タクシーが停まって、運転手が入って行ったんで、即決めた。福山で成功した店の選び方である。
 この日も当たりである。繁華街の外れにあり、地元の人しか来ない店である。安くて味もまぁまぁだし、申し分ない。「ナーベラー(へちま)みそチャンプルー」、「テビチ煮」、ビール、泡盛。次の日が早いんで泡盛は1合でパス。


11月7日。前日用意していた朝飯を部屋で済まし、那覇バスターミナルへ。ゆいれーるを使ったが、歩いても十分行ける距離であることは後で知った。6時56分のバスに乗りたかったのである。
8時ころ知念安座真サンビーチに到着して、9時の船で久高島へ渡る。神様が最初に降り立った島という伝説がある島である。
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7                                上陸してから見たのは、人間から見ればのんびりはっているカタツムリ。ミドルオブロードなんで面白がって写真を撮ったが、この後いやというほど見た。この日はお昼近くまで天気が良くなく、朝のうちは雨がぱらついていたくらいだから、カタツムリにとっては動きやすい状況だったんだろう。
 次に多かったのがチョウチョウだった。俺が見たところで7・8種類いたくらいだから、専門家ならもっと見つけられるはずだ。西表島でお世話になったガイドさんだったら、全部の名前を言えるかもしれないな、なんて考えてた。
 イナゴを1匹見かけただけだ。あと多かったのは女の子の一人旅と飼い猫か野良猫。これは
どこの島でも共通しているようだ。
 写真3が不可思議なんである。よく見ると水たまりに浮いているいるんだが、さらに目を近づけると、なんと細かい黒い粒が動いていて、それらの集合体なんである。一瞬気味が悪くなり身体を遠ざけたくらいである。で、この先大小の水たまりがいくつもあり、その上に規模の大小もあるが、必ずと言っていいほど浮いているんである。チョウチョウ?蚊?蛾?


 写真4は「外間殿」。写真5はその中のひとつの内部。それぞれの建物に神様がいるらしく、ここは祭祀場となっている。写真は撮らなかったがウタキのなかでも最高位にある「クボウウタキ」も北部寄りにある。写真2がこの島の最北端である。

 だんだん天気が良くなってきたせいもあるのか、身体がより元気になるようだった。

港まで戻ってきて、手前にある2軒の食堂のどちらかといえばマイナーな「けい」でビールとそばで昼飯。サーターアンダギーがうまそうだったんで買った。自作だそうである。あとで食べたが油が良くなかったのか強烈に胸焼けを起こした。

 港をぶらぶらして、石碑を見つけた。沖縄式ではないので墓じゃないだろう。歴史的建造物でもなさそうだし、新しそうだった。石碑には「辰年の男と巳年の女」というようあな意味のことが書かれてた。なんなんだ?これも神様なんだろうか?

写真6は首里から来た女好きの王様が、島の女に惚れこんで都へ帰ることも忘れ同棲していたところだということだ。ここでも猫がたむろしてたんで、先ほどのサーターアンダギーを与えたら、最初は用心してたが、俺が帰るそぶりをしたらくらいついていた。
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知念安座真サンビーチに戻り、バス停まで行ったら数分前に来たばかりで、つぎは1時間以上後まで来ない。で、1時間以上歩くことにした。バス停を通るたびに時刻表を確認すれば、適当なところでこのバスに乗れると思ったからで、そこで待ってても仕方がないからである。
 その散歩で見たのは巨大な墓(写真8)。いや、巨大と思ってそばまで来たが、実際はそれほど大きいものではなく、ただ新しいんで膨張して見えたんだろう。だいぶ前のことだが、土地の確保が難しいことから墓の新造の規制が実施されているというニュースを見たか、聞いたことがあるが、改まっていないのであろうか?または立て直し?そうかもしれない。そこからしばらく行ったところにあった看板である(写真11)。この墓が大型としても140万円だとしたら、やはり関東に比べて安い。
 
 潮溜りで休憩(写真9)。やたらスズメダイがいたな。

 次は今渦中の「車海老」。その養殖場(写真10)。が、興味は養殖場内にある奇岩である。人の手が加えられたものなんだろうか?


 結局1時間歩いてついたバス停でバスを待った。1時間歩いて節約したバス代90円也。
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ホテルに戻り、斜め前にあるコインランドリーで洗濯。合間に近所を散歩。洗濯終了まで時間があったんで通り道にあった食堂で「三枚肉そば」。飲む前の腹ごしらえである。
 洗濯終了まじかに爆音がしたので外に出たら、頭上をあの「オスプレイ」が通り過ぎた。全部で4.5機。奴は思ったよりも早かった。しかしうるさいなぁ。音がやかましいうえに、よく墜落すると聞いちゃ、住民が反対するのは当然である。

この日は、三線居酒屋で。「らっきょの天ぷら」、「あぐー豚のソーセージ(本物?)」、「ケチャップ味の島焼きそば(味、覚えてない)」、ビールから泡盛。進み過ぎた。

11月8日。この朝はひどい二日酔いから始まった。朝食はコンビニで買ったヨーグルトと牛乳。夕食までペットボトルのさんぴん茶3本で過ごした。
 泊港からまず座間味へ。古座間味ビーチまで散歩した後、港周辺をぼちぼち(墓地墓地)散歩。
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こんな小さな墓は初めて見た(写真14)。

さて、ボートで座間味から阿嘉島へ。そこから阿嘉大橋を渡り、慶留間島、そして慶留間橋を渡って外地島まで歩いた。
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こうして奇岩を多く見ると、幾何学的な模様がたくさんあって、いかにも人の手にかかってるんじゃないかと思わせるものが多いことに気付く。これらは小さいからまだ自然な感じがするが、これが巨大だったらと思うと、与那国の海底遺跡と呼ばれるものも自然の産物とされても否定できないような気がしてきた。
 終点は誰もいない飛行場(写真16)。誰が利用するんだろう?でもモーターの音はしてるし、誰かいるんだろうけど、それ以外の気配がないんである。ここはやたらイナゴが多かった。

 小学校(写真17)。こんな環境で勉強できるって幸せなことじゃないか。と、思うのはよそ者だけ?
 一旦座間味に戻り、泊りへ向かう。



 ホテルの斜め前のコインランドリーの隣にはカウンターのみの食堂があることに気が付いたのは前日である。ここで飲む前の腹ごしらえのそばを食う。

 そこから前日そばを食った食堂で飲む。「フーチャンプルー」、「三枚肉の煮つけ」。チャンプルーがあっさりしていてうまかった。ビールに泡盛1合。体調復調せず。


11月9日。朝5時半、市場まで散歩して朝飯を食わす食堂を探した。だが、市場につきものの食堂はなく、結局松山まで戻り、終日営業している食堂に入った。松山は眠らない街、まさしく那覇のというより沖縄の歌舞伎町である。食堂内はほぼ満員。厨房では5.6人のおばぁやおかぁがほとんど無駄口を聞くともなく働いている。オーダーが通っているかどうか怪しかったが、それでも待つこと10分で頼んだ「みそ汁」到着。
 400円で具たくさんの味噌汁にごはん漬物が付く。これは次の日に入ったお隣の食堂もほぼ同じで、中身が少し違うくらいである。もっとも味は日本のそれとはちょっと違う。だが、二日酔いの俺にはちょうど良い味だ。
 見渡すと気を失っていたり、ボーっとしてたりしてる連中が3割くらいいて、のこりは精力的に食ってる。特に女の子がすごい。
 朝6時から「すき焼き定食」である。那覇における現代の若者の食事情を見た。


さて、驚きのメニューである。


 焼うどん(ライス・スープ付)
 焼きそば(ライス・スープ付)
 カレーライス(スープ付)

上記2品は関西のダブル炭水化物生活の影響だろうか?


この日は友人と本部方面にドライブ。

夜は「なかむらや」という居酒屋で飲む。とりたてて書くことないなぁ。
「豆腐蓉」、「たかせ貝のバター炒め」、ビールに泡盛。この店は外れたなぁ。

11月10日。朝早くの便で帰宅。それでも朝飯は出発前に松山で済ました。朝元気な俺の胃袋だ。









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