2014年9月26日金曜日

絶望列車

 常磐線牛久駅から北千住駅まで朝の通勤電車に乗った。5時59分発の始発の次の列車である。そう、電車ではなく列車なのである。何度も利用しているのに、覚えられないのがこの常磐線の呼び名の違いである。
 取手から先の各駅停車をするものを「普通列車」と呼び、取手までは「快速」である。で、取手までは千代田線が来ているが、これを「常磐線各駅停車」つまり「普通」ということになるが、後付けで無理やり二つの線を合体したせいか、北千住駅などはホームがかなり離れていて、ひどく不便である。また、JRと共同運営していて、JRの主要駅で乗り換えられないという不便もある。それが「西日暮里」であり、主要駅であり、常磐線快速が停車する日暮里と連絡していないので実に不便である。
 話がそれた。牛久駅で電車を待とうとしたら、勤め人の立っている左側に鞄と傘が置いてあり、その朝は小雨がぱらついていたので、立っている勤め人が傘を持っていないことから、てっきりその勤め人のものだとばかり思ってたら、実はこれは場所取りだったんである。
 列車が滑り込んでくるちょっと前から、たぶんベンチでスポーツ新聞を読んでた中年男性が現れて、俺の前に割り込んで置いてあった鞄と傘を抱えたんである。あきれてものもいえなかった、というのが正直なところである。こんなことがまかり通っているU駅がある牛久市は人口五万余りの東京通勤圏内の住宅地である。市内はチェーン店や大型店の台頭で地元商店など見る影もなく、どこにでもあるような町で、企業も進出するような工業団地ももたず、非常に貧しい町である。

 この一件で住民も貧しいと決め込むのは早計かもしれないが、列車に乗り込んで、牛久駅で乗り込んだ連中を観察していると、それが外れていないことを確信するのである。

先ほどの鞄と傘の男は素早く空いた席を確保し、たぶんベンチで読んでいたであろうスポーツ新聞を、それこそ隅から隅まで読み続けていた。ものすごく目つきの悪い男で、俺に視線を向けようものなら、ぶん殴ってやりたくなるような野郎だった。服装は競輪場によく見られる連中の格好である。
 その男の鞄と傘の持ち主だと思っていた勤め人は、スーツ姿もきまっているが、何か不安を抱えているように見えるしぐさが印象的で、右手のハンカチでしきりに額をぬぐっている。その拭き方が化粧をした女性がするような動きで、スーツ姿とのミスマッチに思わず注視してしまう。

 三人すわりの席で、俺の両隣りは眠り込んでいる。右は40代、左は30代後半くらいだろうか、どちらもオフィスワーカーではなさそうだ。大体は靴でわかる。俺は靴をよく見る。最初は介護の勉強をした時から高齢者の足元が気になるようになったからである。ほとんどの高齢者は、本人に合ったものをはいていない場合が多く、そのほとんどが安価なスニーカーである。足が上がらなくなってきているのに分厚いそこのスニーカーを引きずって歩いていて、たまにひっかけてよろけている。転倒が命取りになることがわかっていない高齢者はごまんといる。
 列車の座席で眠りこけている二人の靴も安物とわかる。腹もだらしなく出ていて、昨夜の酒の余勢を甘受してんのか知らないが、どこから乗ってきたのやら日常のことなのだろう。慣れた寝かたである。
 鞄と傘の男の右隣りは、ビジネス書をまじめに読んでいる40代の髪の毛の薄い男性。オフィスワーカーのようだが、服のセンスが良くなく、髪の毛の手入れもなっていない。やり手の上司にこき使われ、パワハラをパワハラと受け止めずにいられる、自虐的な性格が髪の毛に余計ダメージを与えているって感じである。ビジネス書も内容がなかなか頭に入らないという感じだ。

 さらに右の男もずっと目をつぶっていて、眠っているんだろうか。姿勢よく手もきちんと重ねてももの上に置いている。ブルーカラーの服装で、はらだけがポコッと出ている40代後半といったところか。髪の毛がかなり薄い。服装はかなりの安物で、しかも古い。

 鞄と傘の男の左には、ドアに寄り掛かった黒い半そでのポロと黒いズボン、安物のスニーカーをはいた50代の男性がいて、この男の動作が目を引いた。
 右手でガラスに押し付けた顔を囲むようにし、まるで顔の表情を他人に見られないようにしているように見え、その格好で独り言をつぶやいているんである。その格好で落ち着きなく身体を動かしている。安物のビニール製デイパックを棚の上に置き、その格好をずっと続けられるのは、牛久駅の次の二つの駅を過ぎると反対側のドアしか開閉しないからである。その男が擦り付けた顔の後には白い跡がつき、ガラスをわざと汚しまくっているというような動きをしていた。時々、キャバレーの広告が入ったポケットティッシュで鼻をかんでいるとき見える顔は、寸胴な体型とともに実に不健康そうである。

 牛久駅の次の駅で座席はほぼ埋まった。そのほとんどが男性である。格差社会の底辺に近い人種と見えてしまうのは、やはりこの空間に漂う雰囲気であり、乗客の容姿と無表情な顔つきからくるものである。この列車の1時間から1時間半あとの列車に乗り込んでくる連中は、まだましな格好をしている。


次も機会にこの路線に乗ることがあれば、この時間帯は避けよう。どうにも気が落ち込んでくるのを防げそうもないからである。この年になって、さらに希望をもって生きていこうなんて思いもしないが、絶望を抱えながら生きてゆく気もしない。この列車には絶望感が漂っていた。北千住で降りて、なお乗り続ける乗客を眺めながら、この連中の行先はどこなんだろうと思った。少なくとも愉快な場所じゃないことだけは確かだ。そこには「夢」や「希望」もなさそうである。
 俺はその列車から自分の意志で途中下車した人間だということがいえるかもしれないな。

0 件のコメント:

コメントを投稿