2015年9月17日木曜日

親父のちょいハードツァー日記 前編

8月26日。
いきなり雨である。
起きたときの小雨が家を出るときには小降りになってしまった。

 近所の飲み屋は盛業中で、6.7人の客が元気に?飲んでいた。

空き店舗を利用しての深夜営業のタクシー洗浄屋では三人がかりでタクシーを清掃してた。800円って書いてあったけど、これで元取れんのか他人事ながら気になった。もしかすると車内はオプション料金になってるかもしれない....。
 それにしても対照的な光景を早朝から見せつけられた。かく言う自分は始発(4時台)の電車に乗って西に向かうんである。

 焼津あたりから日が差してきた。 そういえば見覚えのある景色。前回(一昨年)とまったく同じルートを進んでるわけだから当然なことなんだが....。
 熱海での乗り換え時間が1分しかなかったり、熱海から浜松まで150分あり、前回小便を我慢したことを思い出したが、車両にトイレついてたはずなんだが....。今回は6両編成で4両目にあることをアナウンスで知り、用を済ませたがアナウンスがなかったら、やはり我慢してたんだろうな。

 その「トイレ」で思わぬミスしちまった。
浜松での乗り換え時間にトイレに行ってたら、タッチの差で予定の電車に乗り遅れてしまった。4分あるから大丈夫と思ったのが甘かった。まあ20分待てば次の列車が来るので問題はないし、大体急ぐ必要のない「暇つぶし旅行」なんだからどうということもない。

 車窓から豊川の川べりで貝拾いをしている人たちが見えた。河口近くになるのだろうか?どちらにしても貝が取れる川があることはすばらしいところだな。

 岐阜に近づくにつれ天候が回復してゆき、日差しの中に昨夜の雨の量の多さがわかる景色が見えてきた。木曽川、長良川、そして街中の水たまりなど。
 今日は台風を追いかける旅になりそうだ。

大垣から米原の間、和室の居間などがすべてカーテンであることに気がついた。障子を使う習慣がなくなってしまったんだろうか?比較的新しい家ならば居間も洋間だから当然なわけだが50年は経っているであろうと思われる家屋でも1階部分がすべてカーテンであり、ほとんど例外がなかった。降りて訊ねてみたいものだ。

 ちょっと甘くみた宿の予約。予約したあと簡単な道順などをメモしておいたが、電話も買いとけばよかった。姫路に着いてから結局30分は余計な時間を使った。まあその30分も観光の一部にはなったが、何のことはない。ゲストハウス(GH)の前を2度通り過ぎていたことがあとでわかった。
 いつもの自分の思い込みのなせる業と、笑っちまった。

 GHのスタッフの説明では観光は姫路城のみということで、閉門まで30分しかなかったが、45年ぶりの登城となった。
 城の記憶はほとんどないが、内部はこんなものだったんじゃないだろうかと思った。あれからいくつもの城を見てきたからだろうな。
 唯一の記憶は城郭内?の露店でビールを買おうとして断られたことである。修学旅行中で学ランだから当たり前といえば当たり前なんだが....。
 そこで、今回は見学のあと城外で積年の思いを果たした。うまかったな。

 GHで教わった銭湯へ行く。420円。きれいな風呂で設備も新しく、スタッフは女性ばかりで雰囲気もいいところだった。で、風呂上り腹ごなしもかねて牛乳を1本。
 みゆき通りやそれに平行して位置する商店街をぶらついたあと、GH近くの焼き鳥屋で飲む。
ビール3杯、から揚げ、きゅうりのぬかづけ、ももねぎ3本。この店ではあとで知ったが「ひねぽん」ってのが有名らしいが、勧められなかったんで口に出来なかった。
 そこから駅近くまで歩き、立ち飲み屋で地酒の八重垣と「姫路おでん」。しょうが醤油をつけて食
 べるおでんは変わってんな。

 大通りの銀杏並木では時々すごい音がするんだが、どうやら鳥対策であるらしい。けたたましい。

GHに戻り台湾人とドイツ人の会話(英語)をGHのスタッフに訳してもらいながらちょっと仲間に入れてもらって、台湾人とは片言の中国語でしゃべった。で、お先にダウン。

8月27日。
4時過ぎに目を覚ましたものの外の雰囲気が暗闇っぽいんで5時までベッドでぐずぐずしてから1時間ばかり姫路城1周の散歩。
 約30人くらいとすれ違い、そのほとんどと朝の挨拶をする。
半周くらいしたところから堀と平行して流れる川があり、そのどちらにも鯉が泳いでいるんだが、堀の鯉はスマートで一見するとうなぎじゃないかと思えるほどで、対する川の鯉は勢いもよく身体が分厚く大きい。まさに環境による差がそうさせたんだろうな。
 6時を過ぎてからコンビニで買ったもので朝食。

そのあと前日に気になった神社を参拝。射盾兵主(いだてひょうず)神社。10以上の社があり、まさに播州の総社というだけある。そのすべてを参拝しようと思ったがあいにく1円玉が1枚しかなかったんで総社のみとした。それよりその近くの「血の池」が気になった。
 7時過ぎ、スタッフもおらず、挨拶抜きで出発。
駅で「えきそば」を食った。そばつゆの中に中華麺が入ってその上に天ぷらと小ねぎがのってる。
中華麺らしさがまるでなく、どうということもないなあ。それより前日食べそこなった「ひねぽん」が気になる。


 途中下車した鳥取には1軒の喫茶店の名前と大体の場所をメモして来た。どうしても行かなきゃならないこともなく、ただ開店したのが俺の生年と同じだったということだけ。
 それも見つからず、だらだら駅から延びている大通りに沿って歩いていたら「鳥取砂丘5km」の看板が目に留まり、そこまでだらだら歩くことに決めた。時速5kなら1時間で着く。
 砂丘には友人Mと43年前に来ている。そのときは砂丘で遊んだあと、小学校の校長先生に紹介されてお寺に泊めさせてもらい、親戚という銭湯にも連れてってもらった。この土地にはものすごい好印象を抱いてる。
 ほぼ1時間で到着したものの、道路を降りてから海が見えるところまでの砂丘での移動は困難を極めた。砂に足をとられ、のぼりでは沈むし、くだりはすべる。歩くうちにコツをつかみ、急勾配ののぼりは迂回しくだりではがに股気味にかかとから着地してわざと沈ませる歩行法を編み出した。
 砂丘に来るときに絶対必需品の水を携帯してなかったんでのどが渇いたことったらなかった。
 
 レストランに着いて飲んだビールのうまかったこと。「砂をかむような」こうした観光レストランの定食をイメージして、期待してなかったが予想に反して「とろろいくら定食」はうまかった。
 特産のらっきょがついてきてビールのいいあてになったし、とろろに混ぜる露もうまかったが、多分あごだしかなんかだろう。

 帰りはバスで駅まで戻り、市内を再びぶらぶらし、やっと「丸福茶店」を発見したがすでに閉店しており、シャッターにもくもの巣が張っており2年以上経っているようだ。俺が見たガイドブックも古かったんだろうな。ってことは60年くらいで引退ってことか。
鳥取砂丘のナビ。自分の立つ位置が確認できる。



スーパーで買った鳥取産梨「新甘泉」を駅そばの便所で洗い公園で食べた。
20世紀より皮が黒めだがやわらかくてすごく甘くてうまかった。改良がうまくいった例だな。

どのあたりからだったろうか?屋根にしゃちほこの瓦をつけた家が目立ち始めたが、これは土地の習わしなんだろうか?それに光沢のある黒瓦が多い。

米原を過ぎるとそれらがほとんど見られなくなる。あっても集落にひとつやふたつで多くて3軒くらいなものである。その傾向は出雲まで続いた。
俺の足りない脳みそで考えるに、その数少ない家主は「しゃちほこ集落」からの移住や分家したものなんじゃないだろうか?いずれにしても考現学の範疇だな。

宍道湖にかかる夕陽がとてもグッドだった。

19時前にはGHに到着し、スタッフの紹介で先に着いていて女性2名(二人連れではない)と一緒に夕食を共にすることになった。
 その前に駅そばの銭湯へ行くことになり、やはりスタッフに教わった飲み屋で待ち合わせすることにした。
 しまった!ふところが寒い。何と財布には3千円。で、急遽その銭湯から近いその飲み屋をのぞきに行ったところ、カードが使えるような感じではなかった。
 駅に戻りコンビニのATMで金を下ろした。自分の金を下ろすのに手数料を払うという無様なことをしたのは、過去に一度知らないでやったことだけで、今回が二度目となった。

 大阪人、京都人と楽しく飲んだな。

ビール~出雲富士(地酒)~ウイスキー。で、GHに戻って即ダウン。

予想に反してGHは和室で仕切りもなく布団が3組並べて敷いてあったんで、夜中小便に起きて他人を踏んづけぬよう出入り口に近いところを陣取っておいたのは正解だった。

8月28日
早朝出雲市内を散歩。流れの速い高瀬川づたいに歩いた。
天気もすっかり持ち直したのはよいがかなりの二日酔い。

GHに戻ったら大阪人が出かける支度をしていた。そこで挨拶を交わしてから出雲大社を目指し、駅へ行ったがバスに乗り遅れたんで一畑電車という私鉄に乗った。
今回の旅行の本命の目的地である。

駅をおり目前まで来て足を稲作海岸に向け、そこでもぶらぶらした。やはり神話の舞台となったところであり、それらしく整備されていた。

出雲大社~島根ワイナリー~歴史会館と歩き、会館内の蕎麦屋で昼飯。
「出雲そば三段重ね定食」。
そば自体はまあまあだったがつゆが辛く、かやくご飯に助けられたようなモンだった。味噌汁はやはりしじみだった。つけあわせにポテトサラダにはちょっぴり驚かされた。これがきゅうりの漬物・たくわん・かまぼこに混じって出てきたんである。組み合わせとしては異色過ぎる。

表の竜神の口から流れ出る井戸水で、顔を洗いタオルを湿らせてから出雲駅を目指した。
全行程8kmほどである。

出雲の駅に着いたものの、まだ夕方までには時間がありすぎるんで、戻る形となるがJRで松江で時間をつぶすことにした。
 玉造温泉駅から乗ってきた人の中に大阪人もいたので声をかけ、松江まで一緒になった。この日先に松江を観光しており、風呂に入ってまたもどるところだったんである。で、ちょっぴり情報をもらい、松江駅で別れた。

 八雲で売っている観光地だけに八雲なんとか館だけは見ておいた。そういえば彼の著書「日本のなんとか」というのを途中まで読んでそれっきりにしてたことを思い出した。帰ったら読むとするか。

 出雲に戻り、GHから駅そばの銭湯へ。

そのあとやはり駅近くの居酒屋「丸0」。これは当たりだった。前夜の店のような気取りがなく、定食もやってるし、第一注文したもののどれもうまい。
「豚の角煮」、「しめ鯖」、「イナゴの佃煮」。これをビール~地酒の冷酒。

地元の客や主人と話が弾み酒が進みすぎたようだ。 〆に食べた「割り子そば」の味の記憶が飛んでる。

8月29日。
5時過ぎから散歩。「トライアル・メガセンター」で買い物。本社が確か九州だったはずだから島根にあってもおかしくない。なんせ実家がある茨城にもあるんだから。
薄暗くやたらに広い店内はちょっと見ごたえあり。

7時に出発。山陰線で益田、乗り換えて山口線で津和野。この日の予定目的地である。
着いてまず驚いたのが有名な観光地のはずなのに、およそそれとかけ離れた景観が目に飛び込んできたからである。
 駅前の商店街は歯抜け状態であり、どの通りもシャッター通りそのもので、これがどこでも見られる。建物の老化も目立ち、なぜか瓦の新しさだけが目立つ。「山口線復活」なんていうポスターが張ってあるところを見ると、荒廃の原因がそこにあると思った。

 腹ごしらえは駅そばの食堂でソウルフードらしい「うづめ飯」。何のことはない、お茶漬けであり、トッピングにすべきものがご飯に隠れてるだけのものである。うづめって「埋める」ってことか?

 それにしても出雲を離れてから徐々に瓦の色が茶色のものが多くなってきている。しゃちほこに関してはばらつきが多い。
 津和野では瓦の意匠が多様化されており、「改修」に関してはこうした観光地では許可制をとっているところが多いと聞いてるが、瓦に関しては寛大であるようだ。


 駅から歩いて2.3kだろうか?道の駅があり温泉施設があったんで汗を流した。風呂上りにビールと枝豆。
 戻り道森鴎外記念館と隣接して建つ生家を見学し、さらに稲成(誤字ではない)神社に登ったところでSLが走ってるのを見た。そのくだり道ではへびにばったり。
津和野駅周辺はまだしも益田って本当に食べる店の選択肢がまるでないようだ。この日はハンバーグのようなものを食べたかったんだが、まずファミレスがない!ごく普通の食堂もない。仕方なくコンビニで「ハンバーグ弁当」を駅の待合室で食べた。主要な乗換駅のくせに悲しい駅だ。

 そこから萩を目指す。これも乗降者がほとんどいない悲しい駅で、到着したのは20時半ころだが降りたのは俺一人だぜぇ。萩、だよ。
 北に伸びる一直線の道路を歩き、バスセンターが目印でそこを左折すればあるはずと確認しておいたが、それにしてもまっすぐな道は薄暗く、よく見るともと商店街だったようで、それらがほぼ全滅した道路だったんである。どこでも見られる光景ではあるが....。
 明るい店舗がやっとあったと思ったら「セブン」。
 バスセンターを左折してオープンカフェを通り過ぎてしばらく行ったところで引き返し、そのカフェで訊ねたところそこの上階がGHだった。
 愛想のよくないオーナーとちょっと抜けてるサポーターで、ちょっと不安がよぎったが、その予想は的中した。おきて破りだろう!ドミトリーに子供づれの家族を押し込んでいたんである。
 小学低学年のくそがきを二人ほっぽらかして下のカフェで飲んだくれてんであろう、そのくず親は。がきの騒ぎで30分は寝られなかったな。こんなことならポケット瓶でも持ち込んで置きゃよかったよ。でもこの夜は飲む気になれないほど疲れてたんだ。
 で、そのあと記憶がないからいびきできゃつらに報復した、とは思うが.....。

8月30日。5時半に起きて散歩。萩港~萩城~セブン~GH。GHのすぐ近くには業務スーパーや郵便局もあり使い勝手だけは良いようだ。あのげろ家族が連泊しないことだけを祈った。

城下町をたっぷり歩き9時の開館を待って「萩博物館」見学。そこから歩いて松蔭大橋~松蔭神社~松下村塾。世田谷にある松蔭神社のほうが威厳があったような気がするが、目的は松下村塾だったんで萩での目的は果たしたことになる。

 萩市役所まで1回の乗車100円の萩循環バスに乗って、役所となりにある食堂で地元野菜を使ったランチバイキング、800円。
 これは充実してたな。特に味噌汁、おからのサラダ、煮豆がうまく、ご飯も小盛にしてたが 4膳も食っちまった。最後の1膳は野菜カレーで。満腹&満足。

 GH近くには大きな商業施設が二つもあり、そのどちらにもコインランドリーがあり、しかも価格競争もあって比較的安く選択が出来た。しかしその争いが周囲の商店街を疲弊させたんだな。
街で気がついたことはパチンコ・スロットの店だけがやたら元気であるということだ。
店の名は「テキサス」、「マルサン」。テキサスの建物なんか外資系の似たような名の会社のものかと思ったくらいである。それに循環バスに乗って知ったことだが、郊外にイオンモールが盛業中だった。こいつが止めを刺したんあろうな。

 GHに戻ってシャワーを浴びてからその施設の中の食品スーパーを冷やかしてきた。

面白かったのはやはりその土地の特色。食パンは4枚切り、5枚切り、6枚切りがメインで8枚切りはない。あっても10枚切りで、なんと片方では定番となっている。
 豆腐の容量はほとんどが400gであり、東京より100g多い。お土地柄魚の種類が豊富だ。「金太郎」なんて魚がよく売れてるみたいだ。
 「夏みかんジャム」がなんと缶詰にして売られてた。なぜ缶なんだ?

夕方まで時間があったんで先ほど利用した循環バスでほぼ1周してみた。これも100円。ちょうど30分ほどだがいい時間つぶしになった。

 17時ころ街へ出る。といってもGH自体がほぼ中央に近い場所に位置してるんで一歩出れば街なんである。が、近くに飲み屋がない。いかん、今日は日曜日だった。
 それでも5分くらいのところ、ちょうどGHのある通りの裏通りになるんだろうか?居酒屋発見。中に入ると、どちらかといえばファミレスの農家版みたいなところで、どちらかといえば俺が好んではいるタイプの店ではない。
 あとから入ってきた3人連れの客の注文が聞こえたが、地元民は「とりあえず...」のあとは「豆腐」が来るらしいことがわかった。「まず豆腐」って声が聞こえてきた。
 ここで瓶ビール大。470円別は安い。「豚角煮」、「もずく酢」、「げそバター焼き」。
期待してなかった割には料理はまあまあだったんで、この店で終わりにするつもりになったが、なんと酒がない。「しめ鯖」で酒を飲んで済ませるはずだったんだが、仕方ないんでもう1軒行くことにした。

そこから10分くらい、通りからだいぶ外れたところに2軒ばかり酒を飲ます店があり、手前がお好み焼きやだったんで奥の居酒屋に入った。
 客は2人。応対するは40代後半のちょいグラマーなママとすんごいデブ子ちゃん。
 
早速酒を頼むと何も聞かずに、酒が注がれたグラスが皿に乗っかって出てきた。驚かせるよなぁ、萩の飲み屋って。
 つまみは「ナスの白焼き」、「卵と豆腐のステーキ」。要するに前者は焼きなす、後者はゴーヤ抜きチャンプルーのような代物である。
 二人連れの一人が先に帰り、残った客としゃべりながら飲む。日本酒4杯で2300円か、安いな。
20時過ぎまで飲んで帰り、即ダウン。
8月31日。

朝から雨。散歩がてら萩港近くの「JOYFULL」で朝食の定食はドリンクフリーで490円。

予定(らしきもの)を変更しGH近くのバスセンターから循環バスに乗り、歩けば15分くらいのところにある萩駅まで30分かけて向かった。
 夜着いたときはよく見えなかったが、あらためて駅を見ると本当にしょぼいものだった。循環バスから見えたお隣の東萩駅の方が観光駅らしさがあったな。
駅の周辺にしても観光スポットまでの道も萩駅はありえないひどさだったな。


で、萩から下関へ。
列車に乗り込むとき、見当をつけて右側に座った。発車間近になって車内整備などをしていた職員が観光客らしき人に、しきりに右側に座るよう勧めていた。「海がよく見えますよ」って。感心なことである。

 下関に着いて困った。昼も過ぎていて腹ペコなんで、見当をつけて入り込んだところはまさに「コーリアンタウン」で、あるのは焼肉やばかりで、ずいぶん歩き回ったあげくやっとのことで定食屋をを見つけた。食べるということは大変なんだな。5時からやっていると書かれた店で、西成区にあるような店。
 日替わり定食を頼んだ。ありきたりのものだったが米だけはうまかったな。山口産ということだ。

バスでユースホステル(UH)へ行くことにしてたが、8つあるバス停の半分が必ず目的地に行くことがわかり、その手前の唐戸が市場があったり面白そうだったんで そこで時間をつぶすことにした。

 「サンリブ」というショッピングセンター(SC)は萩にもあったが、今にもつぶれそうな感じだったが、ここもぱっとしない感じだったな。周囲の廃れた商店街をぶらついたあと市場に行ってみた。
 ここは観光スポットになってるものがたくさんあって、市場周辺は食い物やがたくさんあり、市場見学も楽しい。早朝から営業している市場内食堂もある。要チェックである。
 一旦下関まで戻り、デパートでサンドイッチを買った。UHで何もなかった場合の保険である。

みもすそ川は関門トンネルの下関側の入り口であるところだ。現在は歩道として開放されている。43年前にここを通って九州にいったんだが景色の記憶はほとんどない。観光スポットにもなっていて、幕末時に使われた大砲が展示されていたり、公園やロープウェイなどもある。
 そこから坂道を登り、ロープウェイ乗りばのそばにUHはあった。バスを降りたときに傘を落としてしまい、到着したときはびしょぬれだった。この日は1日中雨。
 濡れた衣類はそのままだと重いためすべて部屋で干した。靴の中には昨日までの下着を詰め込み湿気をとるようにした。

 早速風呂に浸かり、ゆったりしたところで広い食堂で缶ビールを二本。そしてここで出してくれるメニューの中の「ひれ酒」を注文した。燗をしてオーブンで焼いたひれを入れた本格的なものでこれが1杯400円。酒は地酒の関娘。おいしかったんでおかわりした。

この日の泊り客は俺のほか58歳の広島人。目をくしゃくしゃにつぶってしゃべる癖のある人で、旅先で出会った人の話しが多くてのりづらい人だった。苦手。
UH会員ということで退職して18切符とUHを組み合わせて旅行しているとのことである。まあ得る情報はなさそうである。

9月1日。

いびきがうるさい相部屋を抜け出し、暗い食堂でバナナを食べたりヨーグルトドリンクを飲んだりして明るくなるのを待った。6時ころ明るくなってきたんで出発。この日も雨。
 で、玄関にあった傘を1本失敬した。およそ20本くらいあったからいいだろう?

バスで唐戸へ。市場内食堂で刺身定食700円で朝食。かんぱちはうまかった。やっぱり市場じゃ刺身かすしだな。
 下関に戻り山陽線で柳井へ。

途中で目的地が柳井ではなくその次の柳井港であることがわかり、車掌に告げて清算した。そのあとすぐ戻ってきて、4両編成の一番前の車両ならば降りてから濡れずに済むというアドバイスをもらった。親切な山口のJR職員。

 フェリーに乗るのにお金が足りないことがわかり、駅に着いてすぐ、最初に見つけたおばさん(失礼)に郵便局の場所を尋ね、小走りに向かった。ここでも雨に濡れるしフェリーの時間も10分くらいしかないという 悲惨な状況だったな。金を下ろすとすぐに走った。
 で、間に合うことは間に合ったが11時50分発で到着予定が13時20分だから、昼飯を済ませるか持ち込まねばならなかったのに気がついたときは後の祭り。
 船の自販機はドリンクは何台もあるくせに食べ物といったらカップラーメンのみなんである。そういえばUHにもカップラーメンだけは置いてあったな。普段食べないし食べたくもないので結局水で飢えをしのいだ。やれやれ。
 下船したあともよくないことが続いた。港から駅まで15分くらいだったが食堂らしきものがまったくない。あるのはほぼ壊滅状態の商店街だけである。
 さらに午前中の豪雨のせいで運休していた電車が再開したばかりとあって10分くらいでやってきたものの徐行運転で普段だったら10分くらいのところを3倍くらい時間がかかったんじゃないだろうか?それにしても腹減った。

 松山市駅を降りてびっくりしたのは中華屋がないことである。駅ビルが高島屋だから中には必ずあるだろうが年金生活者には敷居が高い。
 フェリーで見た景色は肉まんのような形をしたたくさんの島である。そこから連想し中華となった次第である。思い描いたメニューは「天津麺」と「小龍包」だ。
 やっと見つけたラーメン屋で昼食。「野菜ラーメン」と「餃子」とビール。

市電に乗って道後温泉へ。
GHに着いたが予約時チェックイン予定時刻を20時ころにしておいたせいなのかチャイムに応答がなかったんで「椿温泉」で汗を流した。道後温泉近くにある銭湯である。なかなかいいよ。
 風呂上り道後温泉に隣接したビアホールで地ビール4種をすべて飲む。

5時ころ再度GHにゆき、チェックインを済ませ荷物を片付けたり、ベッドメイクしてから、来る途中にあった酒造元経営の小料理屋っぽいレストランで夕食。
 まずは「秋山兄弟」。冷酒でとても飲み口がいい。
酒を銘柄や製造方法で何を飲むか決めようとするときの楽しみは、旅行のプランニングに通じるものがある。
 後から来た「豚の角煮」。めちゃうまいんですけど。
これに「愛比売(えひめ)」が合う。
 なんとBGMが「酒とバラの日々」になっちまった。
組み合わせでよくなかったのが上撰酒とベーコン&チーズかな。
 隣の席では東京に出ていた娘が夏休みで帰ってきているのか、その娘の話を親父が聞いているというありがちな景色。渋谷の人ごみ、らくーあなんかも話題にしてたっけ。

帰り道、遠回りして業務スーパーでウィスキーのポケット瓶と水と氷を買って帰り、半分空けた所でダウン。

9月2日。
ヨーグルトとバナナで朝食を済ませ、だらだらと道後から大街道(県内最大のアーケード繁華街)まで歩いた。夜、ここまで来るのは面倒だな。
 松山市駅からJR松山駅までも歩いた。この紛らわしい名前、観光客泣かせだよな。

JR松山から急ぐたびでもないのに特急で内子へ。
町並みが有名なところらしいがひたすら暇つぶしに歩きに行くんである。
ゆるい坂道を登ってゆく両脇がその古い町並みである。大体がショップになっている。

途中で見たのは映画館や、坂を下ってから明治時代の薬局に手を加えて当時の商売や生活を再現したものなど。

ちょっと足を伸ばし道の駅へ。内子豚を使った「プレミアムハンバーガー」を食った。


JAの売店を見てまわる。かぼちゃが特に安いが、全体的に安くてものもよさそうだ。この日が最終ならかって帰りたいところだ。
 ここで「はすの茎?」の束ねてあり100円という値がついたものが並んでいたが何に使うんだろう?松ぼっくりも袋に詰めて売られていたがこれも?
 古い町並みでも唐辛子や干ししいたけなどとともに大きな松ぼっくりが売られていたっけ。

 内子座見学。明治のころに街の有志が立ち上げた歌舞伎小屋である。ボランティアガイドがついてくれて説明してもらいながら中を見てまわった。地下のしかけや舞台裏が面白かったな。

最後は地元スーパー見学である。中にあるうどんやでうどんで作ったかりんとうとコーヒーでウォーミングアップしたあと「内子豚肉うどん」で昼食。この店はそばもやってるが値段はうどんより30円高い。そば頼んでるやつなんか一人もいるはずないぜよ。

松山に戻り、道後までぶらぶらしながら道後を目指した。途中松山城をほぼ半周してGHに戻った。

道後温泉で汗を流してからみやげ物やで缶ビールを買って道後温泉駅にある仕掛け時計の前のベンチに陣取り飲む。時計が動き始める15分前だったようでだんだん人が集まってきたものの5分前あたりから雨が降り出してきた。傘をさしながらの鑑賞である。やれやれ。

18時開店というので時間をあわせ「いよたぬき」という居酒屋で飲む。「亀の爪」という貝類の1種?と「野菜天(さつま揚げ)」、「レバカツ」。内子の地酒「京ひなの」、「一刀両断」は冷酒でこの辛口は合わない。「梅錦」も愛媛の地酒だがこちらは常温で飲む。甘口だがこの甘さに難あり。最後はなんと「赤霧島」をオンザロックで。これが600円。あるところにはあるもんだな。

GHに戻り愛知人女子大生2名、OO人慶応大学生2名、OO人の会計士の6人でしゃべる。俺は12時前に先に失礼した。

9月3日。
6時に起きコインランドリーに洗濯物を突っ込んで、前日に行ったからくり時計のところまで行き、そこで足湯に浸かって時間をつぶす。またもや雨にたたられ、ベンチにビニール袋を敷いて傘差して、である。乾燥機に突っ込みなおしてからGHに戻り早めの出発。

 市電でJR松山駅。ここで気になっていた「タルト」1個と牛乳を買った。シベリアをロールケーキにしたようなものなのになぜか「タルト」なんである。それも何社かが競っているようであり、そんなに食われてるものなのか不思議だった。が、食べたらシベリアそのものだったんでなお不思議。

 今治で降りてみた。駅前はきれいに整備されて見渡してなんの食指も沸かなかったんで国内産タオルで有名なこの土地を早々に離れることにした。
 次の列車を待ち伊予西条に移動しようとして、まだ予約していない旅館に電話してみたら、なんと満員で断れちまった。さては予定変更である。

 東洋のマチュピチュと呼ばれてる「マイントピア別子」で時間をつぶしてから高松を目指すことにした。1日前倒しすることになった。
 新居浜までJRで移動しそこからかなり険しい山道をバスで登っていった。これで380円は安い。

 到着して炭焼き機関車のミニチュアに乗って炭鉱跡などを見学したが圧倒されたのはその周囲の景観である。銅山の開発によりはげ山になった山も、今では木が深く覆い茂っていてまさに深山幽谷である。自然の力の強さと人間の業の力の差を見せ付けられるんである。
結局バスはとっくに終わっていて、その東洋の...という「東平」には行けず、帰りのバスを待つ間「ジャコカツ」、「ザンギ(鶏のから揚げ)」とビールで時間をつぶした。

新居浜に戻って駅中にある食堂で「じゃこ天そば」とビールで時間をつぶした。そばはここでも30円高。こりゃ差別でもあり、四国の陰謀だよな。業務スーパーの麺だって価格は同じだぜよ。

そして高松を目指したが宿の保証はない。やれやれ。

高松には19時半到着。まずは繁華街を歩きながら探すことにした。カプセルホテル(CH)やビジネスホテル(BH)が集まってるはずだからである。
 駅から15分くらいのところに繁華街を見つけた。そこは市庁舎のそばの瓦町というところで、今回のたびに何かと縁がある名前だ。
 何本かの通りがあり、そこから派生した酒場が乱立してる。
その中にカプセルホテルがあった。

腹は減ってなかったんでそのままチェックイン。ジャスト3千円。上段だと2700円だが、下りるときにちょっとやばいかなと思って下段にした。
 早速風呂を浴びてからレストランと思ったが、数名しか泊まっておらず23時まで営業してるはずのレストランは閉店。
 フロントで缶ビールを2本買って飲んで、即ダウン。まぁ助かったって感じ。


9月4日。
18切符で来てるやつの中には、電車内で読書してるのがいる。独自のスタイルを持っている人も多い中、そういうやつは旅先でイオンモールに入って映画観んのと変わんないじゃん、と思う。まあ他人はどうでもよか。俺は自分のスタイルを作りつつあるところなんだから、大きな声で人の悪口を言う資格もない。ただ暇つぶしに徹することが大事であり、そのためにはガイドブックは要らないし地図さえ要らないかもしれない。

CHから高松駅へ向かう途中の牛どんやで朝飯。

こちらの駅構内には公衆電話がすぐ見つかるように配置されてたりする。これも珍しい風景だな。
 駅のロッカーに荷物を突っ込んで そこから琴電の高松駅へ行き、そして屋島へ。弓道を志すもの那須与一の晴れ舞台は一度は拝んでおかなきゃな、なんて気持ちはさらさらなく、ちょうどいい暇つぶし場所が見つかっただけの話である。駅に行くまで行き先も決まってなかったんである。
 降りてはみたものの、しばらく歩き回ってみたもののやはりバスじゃなきゃいけそうにもないことがわかって、あきらめて駅に戻りすぐ目の前にバスが来るのを待った。そのうちに何人かが集まりだし、ここから乗り込んだ人は6名くらいになった。
 ものすごい坂道をのぼって行くのは先日の別子と同じであるが、こちらは100円である。安い!
ここで頂上の屋島神社のなかに七福神を発見した。今年何回目かの七福神めぐりになった。

一旦屋島駅に戻りそこからちょっと上ったところにある「四国村」を見学した。ここは山の勾配を利用した古民家テーマパークでなかなか見ごたえのあるところでありお勧めポイントになったな。
 見終ったところにかなり有名であるらしいことがあとでわかった「わら家」というところで昼飯。「ぶっかけうどん」とビール。そして冷酒。
 香川のうどんのよさを理解できない俺としては、小麦粉と塩のかたまりを飲むようにして食するのが健康的であるかというのがどうして問題視されないかが不思議なんである。
 タイミングよろしくこの日の新聞で各県の一人当たりの医療費が発表されていたが、高知が首位、香川は12位だった。ちなみに沖縄や茨城は40位以下である。
 長野の順位は知らないが明らかにうどんよりそばのほうが健康的にはよさそうである。

うどんを食ってる連中を観察しながら酒を飲んだ。まずほとんどの地元らしい連中はメタボであった。つけ汁が入った口の長い花瓶のような容器の扱い方で地元と旅行者の違いがわかる。
 一人当たり300gは食ってるんじゃないかな。汁もよく飲む。そしてよくかんでいるものはほとんどいないな。
 すぐそばに座った大阪のお金持ち。でかい声で携帯で話してる内容でわかったが、はったりかも知れない。とにかくその御大が背中丸めてありえない量のうどんを食う姿は粋とは遠く離れた世界の人間であることを証明してるようなものだ。
 屋島から瓦町まで戻り、そこから時間がまだあるんで「栗林公園」を歩くことにした。栗もないのになぜ栗林なんだろう?修学旅行で来てるんだが記憶はない。まあごちゃごちゃして節操のない公園である。名勝にはなれないわけだ。

 高松まで歩きそこから電車で一駅移動した。昭和町。
GHに到着し荷物を置いて郵便局まで行き金を下ろして宿賃を払う。3泊で7500円。
近所の銭湯を教わり、そこで汗を流して帰り道中華やで夕飯。「レバニラ炒め」、「餃子」、ビール。

 おやっさんが「辛いのすき?」ってたずねてきたので、そうだと答えたら豆板醤を加えていた。厨房の中が丸見えなんで飽きない。
 片栗粉はあらかじめ大きな容器に溶かしておいて、手づかみで投入して加減を見てる。レバニラも餃子もボリュームがあり、その上うまい!ビール、おかわり!
 夫婦の連携がよく見ていて気持ちがいい。明日もここで良いな、と思ったくらいだ。

GHの奥さんに教わった酒屋で地酒「凱陣・純米」の4号瓶を買いGHでちびちびやってたら、埼玉人K君、千葉人U君が参加してきて飲み干してしまった。もってたポケット瓶ウイスキーも飲み干しちゃったんで、コンビニへ行きウィスキーの小瓶とバタピーを買ってきて、さらに飲んでダウン。
 この地酒はうまい!辛口だが非常に口当たりがいいんだ。











 




 

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