2013年7月19日金曜日

反・熱中症

 温度差を強く感じる。
外気温の話ではない。奈良大通信で学んでいて強く感じることである。

 まず、学生である。平均年齢60歳だから若い人はほとんどおらず、高齢者が多く、彼らの温度差なんて始めは意識もしなかったが、一昨年頃から感じ出した。
 大雑把で分別すると2種類。群れ(たが)る奴らと独学タイプである。これが他の娯楽カルチャーニなる戸極自然な形なんだろうが、通信、それもスクーリングでたまにしか顔を会わせないという、特殊なケースでは不思議なグループが出来上がる。
 独学タイプが一番自然で、話もしやすい。もっとも相手が警戒心が強く、話も出来ない雰囲気を漂わせてる人もいるが。

 群れてる人の大半は、つまらないつながり方をしている。レポートや科目修得試験の情報集めや、あるいはつながりのための情報収集をしている。
 まずはSNSを現場でやってるというわけである。利害関係のないお友達つくりである。共通の話題としては別名が暦女であり、歴史おたく爺であるわけであるからネタは尽きない。
 ここまで書くと、つまらないことばかりではないではないか、と思うかもしれない。

 歴史を学ぶ、ということがどういうことか、が分かってないからつまらないサークルになっちまうんである。歴史を通して現在の何かを省みることがなければ、単なる時間つぶしにしかならないが、そこんとこ全然分かってないんである。つまり縁側でひなたぼっこして世間話してるのと同じなんである。ここで「いいね!」か?

 何度も言うが歴史から学ぶことが大事なのに、歴史を学ぶと称して時間つぶししてるんである。古文書を通して過去の災害の教訓に学ぼうとしてる動きが報じられているにもかかわらずである。聖徳太子が存在していようがいまいが現代に何の功徳も与えちゃくれないよ。現在奈良大で教えてるもののほとんどが、その「聖徳太子の存在の.....」的なものであり、それが商売になっている。しかも大繁盛である。これに「邪馬台国」なんかが加わるんである。


 カルチャースクール(俺は当初からそう認識していた)として面白かったのは、基礎教養科目だけで、考古学や文化財学などの専門科目は総じて「聖徳太子」的あり、ますますつまらなくなり、これに喜々として群がる前記のグループどもと顔を会わせるのは正直しんどくなってきた。

 7月13日からのスクーリングには、そんなわけで単位稼ぎに出かけるようなもので、これで飲み歩きの楽しみがなければどうしようもないところだった。




 次は教える側の温度差である。お遊び感覚(娯楽カルチャー)タイプと自論を展開する自己満足タイプである。これには学生も戸惑ってる場合もあり、初年度は特にひどかった。
 同じようなことを通学生にもやってるとしたら、やはり社会の役に立ちそうな人材は生まれっこないよなぁ、と思わせるんである。この現実との接点のなさが二流大学から這い上がれなくしてるんだろうなぁ。それはどうでもいいことだけど。どちらのタイプも温故知新を体現してないことに変わりないからである。
 

 

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