2018年3月6日火曜日

葛飾の記憶

3月5日。星期一。                119/83。63.6kg。

 「春霞」?。気温は高いが天気は悪そうだ。なぜか「ネバーエンディング・ストーリー」がよく流れる。2,3日前、そして今日は朝だけで2回。中国語の先生が進めていた映画の主題歌だ。

 朝食のオートミール、この日は低脂肪牛乳で作ってみた。これははちみつなんかが合うかもしれないと思いながらそのまま食べてしまった。

 午前中は駅近くの銀行と近所のスーパーの買物。

 帰宅後、読書。荷風先生の随筆「葛飾土産」。葛飾と言っても大正時代から昭和初期のことで、当時東葛飾郡と呼ばれていた土地を指している。駅名も「葛飾」で、現在は「京成西船」となっている。つまり、江戸川を渡ったところである千葉県は市川市あたりのことであり、葛飾区とは関係がない。あれほど東京に執着していた先生も空襲で焼け出されてからというもの、仕方なく本八幡へ越してから、ようやく地元を今までの東京でした来たような散歩を再開した記録である。
 で、俺が幼少期過ごした新小岩は葛飾区でもちろん東京都であり、駅で言えば両隣の平井と小岩は江戸川区で地図を見ると両側を挟まれた一部分細長くなった土地となっている。         小学校を2年生の夏休みがもうすぐというところで調布は佐須に引っ越した。で、その年の年末におふくろから強制されて年賀状を書く段になって、つくづくうんざりしたことを思い出す。「葛飾」の字が苦手で、その上発信地の名称も、当時だと北多摩郡調布町か佐須村だったと思うが、これも当時の俺としてはうんざりする画数だったと記憶する。そういえば高学年になってからもおふくろは習字には殊のほかうるさかったな。それがトラウマになって、字の汚いままおとなになってしまったわけだ。

 「水のながれ」ではやはり隅田川について語っており、先生の心の故郷であったことがよく分かる。「向島」は最後のエッセイ。風致ということを教わったような気がする。誰もがそうした気持ちを忘れずに生きれば、街ももっと住みやすいものになるだろうに、とも言われたような気がする。

 昼食は「明洞チゲ鍋」から、「ビビンバ」に変更。ケイのにぃにぃの手になる。

 午後は天気が大荒れ。

 酒粕で甘酒制作。夕食は揚げ物を予定していたので、それ以外のものを作っておいた。

 で、じっくり読書。「江戸戯作本」から「桃太郎後日噺」。桃太郎の後日談である。鬼ヶ島から連れ帰った鬼の大将の息子である「白鬼」を中心にした恋愛騒動から挙句の果てが「道成寺」まがいの大騒動までを描いたパロディ満載作品である。まあ、解説&注釈&電子辞書付きでようやくそのユーモアを解する事が多いんではあるが....。

 この日はケイのにぃにぃの「再現計画第?弾」の「ケンタッキーフライドチキン」を作ることになった。ネットで調べあげた香辛料だらけの「揚げ衣」がポイントなっている。使用する鶏胸肉は1kg。
 仕上がりは上々。ジャンキーさは到底本物に及ぶわけもないが、美味しさは十分である。

 選手交代して、俺が「とんかつ」を揚げた。これは鶏肉購入時にすぐ隣で処分品シールが貼られていた豚ロース5枚である。これは冷凍して昼食のかつ丼用とする。
 最後に「うど」の天ぷら。うどの葉の部分である。今回、処分品で皮はちょっと使いたくなるような体をなしてなかった。

 夕食は「フライドチキン」、「うどの葉の天ぷら」、「うどとパセリとルッコラのアジアンサラダ」、「かぼちゃのポタージュ」。
 焼酎のトマトジュース割り~ホッピー~トリスウイスキー(本来ならケンタッキーバーボンといきたいところだが)をちびちびやりながらTV鑑賞。
「モヤさま・王子編」。最後の寄り道先のジムで知っている人が出てた。サマーズ相手にずいぶん受けてたな。その人は森川さん(85歳)。荒川のジムで知り合った人でお宅にもおじゃましたことがある。ダンス歴も長く、そのステップも実際に見たことがある。大先輩が達者なのを見られてよかった。
 「ローカル線旅行番組・熊本県は人吉・八代」。懐かしいところで、40年前に一度行ったことがあるところだ。九州一周旅行の折にはぜひ再訪したいところだなあ。9時半ころダウン。

 

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