2018年3月17日土曜日

疎雨

3月16日。星期五。                  150/99。63.4kg。

 暖かい。早朝キッチンは「味付けザーサイ」。夕食に使うためである。たくさん作ると保存がきかないことが前回作ったものがカビたことでわかったんでひとかたまりづつ作ることにした。

 朝の買い物は小雨の中。帰り道、ヨモギやつくしが出ているのを発見した。つくしは去年と同じ場所であり、出てきてから時間が経っているらしいようだ。次回通るときには採集しよう。

 帰宅後「雨読」。「文読む月日」ではルソーさんが語る。おしゃべりな者は自分が知っていることをすべてしゃべろうとする。それは自分の知っていることが重要(自分にとって)だと思うからだ。相手にとっても重要なことと判断しない限り、賢明な者は大抵無口である、とさ。

 「矢はずぐさ」。荷風先生、二度目の結婚も1年ともたなかったが、かなり未練が残ったようで、その回顧録でありその相手を賛辞してやまない。芸姑上がりのその相手は家事にも芸術などにも精通した人だったようで、当時としては珍しい自立した婦人である。大正5年、荷風先生38歳より独居生活が始まり、当時より自身の「老い」を意識するようになっているのは、この離婚がかなり影響しているとみられる。日毎に整頓され住みやすくされてゆく住まいと毎日の趣向を凝らした料理、これ以上の幸せを望むべくもない、そんな生活を経験したら誰だって落ち込むよなあ。
 ちなみに題名は雑草の名であり、葉の形状が弓をかける矢の場所である「矢筈」に似ているからだ。これも弓道をかじったことがあるのですぐ分かった。

 江戸戯作本では「無益委記(むだいき)」。恋川春町作。例えば「猫も杓子も」という言い回しを戯画化するとこうなる、と言ったナンセンスコントの連作集といえばいいだろうか。 これが江戸時代にあったということが驚きである。時代を風刺する姿勢は他の作品とも共通していることであり、江戸時代がいかに面白く暮らせる時代であったことがうかがえる。
 板橋区に「仲宿」という場所があるが、坊さんがそこで着替えてから吉原に遊びにゆくというエピソードがあり、まさに「中宿」だったことがわかる。また男色についてもいくつかのエピソードがあり、弘法大師が男色の元祖であると言われていたことまで知ることが出来た。驚愕の歴史だぜえ。

 昼食は「焼きそば」。

 やまない雨。こんなふり方を「疎雨(そう)」とも呼ぶらしい。荷風先生の随筆「西瓜」で使われていた。聴いたことのない言葉ががんがん出てくるんで、電子辞書を使いながらの読書は遅々としてはかどらないが、年金生活者にとっては正しい時間の潰し方だな。
 この1篇は荷風先生60歳当時の回顧録である。独居生活長く、近所付き合いもない自身が、送られてきた西瓜ひとつの処置に困るところから始まる。真桑瓜(まくわうり)、心太(ところてん)、青魚(さんまなど)は永井家では下賎な食い物として食べさせられなかったことやクリスマスなどの安易に輸入された舶来ものを忌み嫌うという、後年に影響する習慣の由来などが描かれる。
 この中にも二度目の結婚生活での忘れられない思い出の風景が書かれている。精神的にも肉体的にも自由人として生きようとはするが、思い出からは逃げられず、去来するそうしたものからは逃げられないし、歳を重ねれば当然老いて肉体的にもいつまでも自由に動き回れるというわけにも行かなくなる 。そんな悲しみが伝わってくる。それらを「三界の首枷(さんがいのくびかせ)」という言葉で表現することを知った。

 夕飯は「豚ひき肉ともやしのザーサイ炒め」、「ちくわとおから煮と正月菜の白和え」、「なます」、「正月菜とハムとワンタンの皮の中華スープ」。

 発泡酒~泡盛のシークワーサー水割りをちびちびやりながらTV鑑賞。「入りにくい居酒屋・チェジュ島編&ロンドン編」、「二度目の・ノルウェー」。
 つまみは「しもつかれ味のポテトチップス」、「しゅうまいのポテトチップス」~柿ピー。食べ過ぎかも。番組の中で紹介される料理に触発されてるかもしれないな。 10時過ぎにダウン。

 

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