2018年3月25日日曜日

老い炊き機能

3月24日。星期六。                      136/90。62.8㎏。

 再配達の希望をを午前にしたか午後にしたか思い出せない。困ったもんだ。が、仕方ないんで午前中はどこへも出かけず、家の中で過ごす。

 洗濯、窓ふきを済ませてから読書。池波正太郎「江戸切絵図散歩」。東京へ越してから買って一度読んだもの。
 古い地名について書いてある箇所が非常に興味深いものだった。先日会ったエダルも同じことを言っていたっけ。
 古い地名はいろいろな情報も含んでいたということである。生業を同じくする人が多く住んでいたところとか、忌むべき場所だったとか、その土地の特色(一番代表的なのは富士山が見える場所)を伝えている名前が付けられていたのである。
 よく使う都地図では巻頭に丁目名一覧があり、新宿区が多く、多分古くからの名前が残されているのではないだろうか。千代田区も多い。が、荒川区などになると5.6個しかないんじゃないか。東京でも田舎にこうした傾向がみられるようだ。地名が数字だらけになっているのはどうにも味気ないものだ。現在では郵便番号だけで判別できちゃうんだからな。これもはがきだとか手紙を書かなくなりつつある現在では簡便にしすぎた感がどうにも否めない。

 昼食は「汁なしパクチーラーメン」。ベトナム製インスタント焼きそばである。これにキャベツともやし、トッピングにパクチーをたっぷり使って仕上げた。量も多くなり、味が少しぼやけ気味になったが結構うまかった。もっとも添加物が多いのを見てがっかりもしたが。

 午後はピアノの調律。再配達もあった。郵便で区のEモニターのお礼も届いた。区内で使える商品券千円分である。

 銭湯へは行かず、ケイのにぃにぃが俺の頭の後ろ部分がおかしいと言ってトリマーをかけてくれるというので風呂は家で済ませた。追い炊き機能が壊れたらしい。やれやれ。自動炊きは大丈夫でシャワーも無難に使えたので問題はなかったが、修理ができれば修理して使いたいものだ。

 夕食は実家から運んだキムチを使い「明洞キムチ鍋」。作りながらケイのにぃにぃが今日買ってきてくれたイブライム・フェレールのCDを聴いた。ブエナビスタソシアルクラブのメインボーカルをやってた人である。少年時代から歌っていながら芽が出ず、70歳くらいでライクーダーに見いだされて「ブエナビスタソシアルクラブ」で脚光を浴びた人である。海外遠征のあと78歳で亡くなっている。亡くなった年は2005年。ケイの母親が亡くなったのと同じ年だ。
 この日のCDはライクーダーのプロデュースで作られた彼のデビューソロバムであり、この当時彼には5人のひ孫がいると述懐している。これもケイのにぃにぃが買ってくれたものだが、「ブエナビスタソシアルクラブ」のサントラではどちらかというとスローな曲が多かったが、このアルバムではアップテンポの曲も多く、声がいいんでとても聴いてて気持ちがいい。ラム酒をちびちびやりながら聴くのに最高だな。彼もラム酒を愛飲していたということである。

 食後、焼酎の炭酸&シークワーサー割りをちびちびやりながらTV鑑賞。「麗しのサブリナ」。ビリーワイルダー監督・共同脚本の1954年作品。オードリーヘップバーンもウイリアムホールデンも売り出し中のころの作品で、作品もいいしヒットもしている。1953年(俺が生まれた年)に二人はアカデミー賞主演賞をとっていて、翌年この作品で共演している。何年か後に「パリで一緒に」でも共演していて、一時恋愛関係であったことも知られている。二人とも63歳で亡くなっている。偶然?
 ハンフリーボカートもこの作品の当時は「ケイン号の反乱」や「裸足の伯爵夫人」などと充実していた。そして3年後に57歳で亡くなった。まさに脂が乗りきっていた作品といえるだろう。
 9時過ぎダウン。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿