2011年4月18日月曜日

またひと休み

今朝1年次の最後のレポートを郵送した。昨日の午後には終わらす予定が単発(スポットのサービス)の介護サービスがちょうど昼時にあり、帰宅したら長女プラス孫が遊びに来てたんで、脱稿したのは夜10時だった。  日程では予定通りなんだが毎度のことでぎりぎりになって集中的に終わらす羽目に陥ってるんでなんともあわただしい。  そしてひとつ終わるとその虚脱感でしばらくサボり癖がついてまわるんである。今日も同居人に頼まれたDVD1枚のほかに3枚借りてきてしまった。TVの録画も2本未見にもかかわらずである。  そのうちの1枚が「続.3丁目の夕日」。そんなことはないはずなんだが、見たり聞いたりした場面があるんで同時代意識をはさんでしまうんだが、実際はそれより10年以上前の東京が舞台なんである。  自分の実体験と成長してから経験したもの、そして成人してから知ったことなどの記憶が入り混じるんである。わかりやすくいうと時代劇で言えば水戸黄門に近藤勇が出てくるような感じである。ちょっと大げさかな?  この作品のセットを見ると昔のあるTVドラマを思い出す。題名を思い出せないが出演者は八波むと、し、南利明、由利徹、森川信ってところか?これの劇中かスポンサーにオート三輪車が出ていたのだけはおぼえてる。劇そのものはほとんど記憶にない。  さらに思い出すのが平井にあった家の前の通りで餓鬼どもが遊んでいたことである。もちろん自分もその仲間だ。ただ通りは舗装してたんじゃないかな。家が貧しくて下駄を履いていたからよく歯がはかいったこともおぼえている。  「3丁目」は当時のエッセンスをうまくちりばめてあることから受けたんだろう。団塊の世代の少し上辺りには随分と懐かしいだろうな。貧富の差もしっかりあってあの頃はあの頃なりに格差社会に悔しい思いをしたり嘆いていたりしたもんだが...。幸せは金では買えないなんてお説教は、欲しいプラモデルも手に入れられない子供にいくら聞かせたって無駄だってことが大人にはわからないのは現在も同じである。 あの当時は貧しいながらも活気があったとか言う人もいるようだが、食うために必要だっただけの話であり、現代人のほうがよっぽど活気に満ちた働きをしてるように見える。 ただ当時の暮らしぶりを再現することは不可能であるが、真似事をするだけでもかなりの経済的な暮らしにすることは可能ではないだろうか?決してエコにはならないとは思うが。  自分がサービスで行く家の暮らしぶりは「3丁目」とは程遠いものである。1日中TVつけっぱの照明つけっぱの空調つけっぱの....である。彼らにあの当時の暮らしをさせるのはちょっと無理だし、もしかしたら懐かしさも感じないんじゃないだろうか? 自分たちもそうなっちまうのかな?今回の自粛ムードで少しは戻るんだろうか? 今夜のメニューは「豆腐と挽肉と青梗菜のチリソース」、「モヤシとしいたけの中華スープ」、「小松菜とちくわの梅ぼし和え」。

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