2010年10月26日火曜日

別れの朝

 出だしからいやな雨だった。天気予報が外れることも多いんだが、今日は外れまくってたな。出かける直前に大粒の雨が降り出し、戻ってレインウェアを着てから出直した。

 9時からはKさん。10時を少しまわってKさんとこから出たときには雨は止んでいた。雲が多くていつまた降り出してもおかしくない天気だ。


 自転車で5分のところに10時15分開始のWさんの家がある。大体2.3分前に入るようにしている。遅れは厳禁、早すぎてもだめという微妙な間合いの取り方も数回足を運んでの経験で決めてゆく。


 Wさんは最近退院されて自宅で介護されている寝たきりの”ターミナルケア(終末ケア)”である。自分を含め3人が交代で1日2回ヘルパーを勤め、訪問看護も毎日、この木曜からは入浴サービスも始まる予定だった。


 自分の今朝の担当は寝巻きの着替えである。午後にも陰部洗浄で来ることになっていた。奥さんに挨拶したときには本人は眠っているとのことだった。


 尿が入ってるバルーンバッグをチェックして量を記録し、それをトイレで始末してから陰部の確認のための声かけをしたときである。尿の量も極端に少なかったこともあって、即脈を診た。息も確認した。



 身体はまだ暖かく、亡くなっていたとしても数分前だと思ったが、それを判断するのは医療関係の人である。奥さんに伝えてから、マニュアル通りに医療関係に電話して緊急に来てもらうよう要請した。そして会社にも連絡して自分のとるべき行動を指示してもらった。


 15分で看護士到着。血圧、脈、瞳孔をチェックしてから主治医に連絡。慣れたものである。何回かWさんの顔を見たが苦しそうな表情ではなかったが、そのときはどうだったのかは誰も知ることはない。


 看護士の指示のもと、体位を仰向けにし、硬直が始まる前に手足の位置を直した。身体はがっしりした人で肌のつやも黄疸が出ているとはいえ張りがあって健脚であったであろうことが推測できる。     そうこうしてる時に会社から社員が来てくれ、Wさんに挨拶して一緒に退去した。時間はぴったり10時45分。サービス時間内である。


 明日はWさんのケアカンファレンスも予定されていたことも、今後のことを考えていたもの同士で残念がったりしてから社員と別れた。



 短い間の交流だったが、菊の好きな奥さんのことを考えながら自転車をこいでいたら、やけに冷たい風のせいか目頭に異常が出たようだった。


 それにしても1ヶ月ほど前に社員に尋ねたことがある。独居の老人の死に直面したときの行動指針みたいなものを。ケースとしては1年に1.2回あるそうである。それが会社全体でなのか、事業所内でのことなのかは確認しなかったが、このときマニュアルを聞いておいたことが役に立ったわけである。

 午後のサービスがなくなったことから1ヶ月ぶりのジムで汗を流した。


 今、手元にWさんの訪問介護計画書があり、その上には赤鉛筆で自分なりの注意点などが記入されている。担当が外れたときはこれらの書類は個人情報なんで返すことが義務付けられているが、亡くなった場合はどうするんだろう?明日電話してみよう。


 享年89歳、合掌。



 今夜のメニューは”かぼちゃのカレークリーム煮”、”なすとトマトのサラダ”。前者は去年までは公表だったのに今回は非難轟々。後者は前回不評だったんでナスの下ごしらえを変えたら好評。

 

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