2009年9月3日木曜日

次の日の筋肉痛はまだ若い?


内腿が痛い。今日トレッドミルで走り始めて感じたが、この痛みがヘルニアからくるものでないことはすぐ分かった。明らかに筋肉痛である。昨日のスイミングによるものである。

 それでも無理がないよう時速11kのペースを守って楽して30分走った。今日は時間もなかったんで30分で終えたが、さらに走ったとしても1時間が限度である。スイミングもしかり。飽きてしまうんである。かといっておもてを走れば膝と腰が心配だし、泳ぐ場所があったとしてもほかの遊びを探したりして泳ぎもしないだろう。

 許容体重を2k上回った時期もあり、心配していたがこの3日間で元に戻った。やはり3週間のブランクは50代にはきつい。毎日体力が落ちているのが自覚できるようになるかもしれない。この落下速度をいかに落とすかが課題であり、週2回のトレーニングは欠かせない。

 昼食は同居人の学校が始まったんで孤食。”ケーンカリーカイ(鶏のカレー、ご飯はタイ米)”、”煮豚”、”昆布と鰹節の佃煮(だし汁の廃材)”、”サラダ(野菜にレモン汁をかけたもの)”、”某社のストレートジュース(ギフト解体ものの特売品50円)”。

 夕飯のメニューは某醤油会社が発売しているレトルト調味料を使用したもの”ナスの肉味噌炒め”、”厚揚げの香味野菜たっぷり乗せ”、”小松菜の味噌汁”、”めかぶのポン酢あえ”。レトルト物は残された。臭いそうである。自分には分からないんだが。

 読みかけの本が多すぎていけない。途中で気になる本に手を出すもんだから現在5冊になってしまった。今夜そのうちの1冊が終わるはずだ。吉村昭のエッセイ。
 介護の勉強をはじめてからなおさらのこと”尊厳死”について考えることが多くなった。そのことについて言及した講師の方もいた。例の奈良大学の65歳の学生でもある方だ。個人的な意見は出さず一般論を紹介しただけではあるが。
 吉村氏は自分でライフラインであるチューブを自ら外し死んだ人である。2.3箇所、死について考察したものがあるが尊厳死に触れたものはなかった。どうせ死ぬなら死に方は選びたいものだと生前のたまう方は多かれど、認知症になっちまったらとことん生かせてもらえるんである。遺言状に記載がなければ(あってもだめな場合もあるらしい)生かせてもらえるんである。
 しかも認知症は確実に増えている。

 自分の施設実習場所の入居者60人は全員認知症だ。ADL(行動的日常生活)、QOL(生活の質の向上)が認知できない人たち相手に尊厳死肯定論者はどんな対応を偽装せねばならないんだろう。


 視線で文字を示して会話したり本を書いたりした人の記事が先日のA新聞に載っていたが、こういう特殊な人と比較できるもんじゃないことは分かってるんだが、どうにも割り切れない。
 腰のすわらぬヘルパー講座受講生の愚痴である。

 

 

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