あれからもう6年、早いもんである。東京で感じたあの揺れは、まだ記憶に新しい。この日、中国語教室の最中に、館内放送があり「黙祷」を指示されたが、これってどうしても形にしないと、その気持が通じないという日本人の悪い慣習がなせることで、俺はいつも不快感を感じてしまうんだが、この日はたった1分の間、気を失ったようだ。寝不足なんだな。
まあ、こんなことを書いたら、即炎上してしまうというような風潮があり、それに対しても意見はあるが、このブログはそういう意見を発信するものではないので、ある意味安心して書ける。しかも追悼という気持ちはもちろん持っているつもりである。
早朝キッチンは、玉ねぎをバターで炒め、炊飯器に突っ込んどいた人参とじゃがいもを加えた 「ノンビーフシチュー」。
順調に白菜が育っているが、これはスプラウトとしてのもので、もう少しで食べられそうだ。毎日の水の交換が面倒だが。
午前中は、日曜日の午前中に予定していた「さくらんぼの根処分」が、班長の集まりがあるというんで前倒しで行なうことになった。
底面から撮ったもの。右側にはもう1本のさくらんぼの木がある。 |
底にいた蝉の幼虫。脱出を試みている。 |
約1時間の作業だった。周囲を2回にわたって掘り起こしていたのが良かったようだ。根は四方に伸びているが下にむかって伸びているものがなかったのが幸いだった。
根にへばりついている土がかなり硬くてすべて除去するには時間がかかりそうで、しばらく放置するか、水でもかけて一気に片付けるか、迷ってる。
根の土を落とすと、中から蝉の幼虫がボロボロ落ちてきて、その数10匹以上いたな。
第9の畝(仮称)を掘り起こす作業上、最大の障害と目していただけに意外にあっさり終わってしまったんで拍子抜けした。
これから先、裁断した四方に伸びていた根の掘り起こしをしながら、開墾地を増やしてゆくことになる。
さて、このさくらんぼ、いつ植えたものか知らないが、亡くなった義父はこの木が身をつけたことを知らぬまま亡くなった。何度か実をつけたにはつけたが、そのすべてを野鳥に食われてしまい、俺達も食したことはないまま切り倒されてしまったんである。
義父はこんな未来を想像もできなかったろうな。だが、現在の畑中心の庭を作るためには非常に厄介な場所を専有していて大きな障害となってしまったんである。将来像を描いて作るべきなんだろうが、俺自身もそういう設計が苦手ときてる。それでもこれで何度かの大木の根の処理を経験したことで、庭を残してもあとの人間が困らぬようにだけはしときたいものである。
昼食は「ノンビーフシチュー」、「ケチャップライス」。
午後は中国語教室。この日で臨時先生とお別れ。とてもかわいい先生であることはすでに書いてるが、やはりそういう人は片づくのも早いようで、既婚者であり最近つくばにマンションも買ったそうだ。幸せそうで大いに結構なことである。発音もとてもきれいで、何度も繰り返してレッスンを受けたことはいい経験になったし、今後に活かしたいと思う。が、いつもそう思うんである。
帰り道、食材料を買い集め、2割引きの特売をやっていた店でシラーズ種とガルナッシュ種のワインを1本づつ買った。
この日の夕食はかねてから予定した「天ぷら」。庭作業を早めに終えたケイのにぃにぃ主導のもと、俺はもっぱら下ごしらえ作業を受け持つ。
材料はすべて薄切りにして、揚げながらつまみ食いするという方式を編み出した。
さつまいも・かぼちゃ・れんこん・ごぼう・舞茸・茄子・たまねぎ&にんじん&ルッコラ&干しエビのかき揚げ、そして揚げ出し豆腐。薄切り戦略大成功。前回苦戦したかき揚げも、製粉会社のHPに載ってた、あらかじめ材料に粉をふって混ぜたところに説いた天ぷら粉をかけるという「コツ」を参考にしたところ非常にうまくできた。
うますぎて箸が止まらず、どうやら食い過ぎたようである。特にごぼうと舞茸が香ばしく、さつまいもは甘く、れんこんはその歯ごたえが良かった。
合わせた飲み物は発泡酒から始めて、最後までオトーリー風で済ませた。
酒と天ぷらをちびちびやりながら観たのは「世界ふれあい街歩き・トリビシ編」。トリビシとはジョージア国の首都で、以前はグルジアと呼んでた国の首都である。ワインのルーツを見られるかなと思って楽しみにしてたが、それ自体は大したことはなく、やはり食に関するものが面白かった。特にシルクロードに属していることで混ぜこぜの文化の流入の影響が見られて楽しい。
腹も膨れ、眠気も催してきたんで9時にはダウン。
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