10月31日。星期四。 116/76。62.4㎏。
起床後、やたらに痰がで、濃い鼻水と、まさに風邪の症状である。記憶をとどれば、今年二度目の似たような症状である。熱は出ず、鼻と痰、そして喉の痛みである。
前回は市販薬のみで解消。今回も市販薬と対症療法としてヴェポラップ、のど飴で回復を目指す。
8時半にケイの住んでいたアパートを目指す。手前のバス停留所で降り、100均でメガネケースとピーラーを買う。
メガネケースは壊れたものの代替え、ピーラーは東京のものにジャガイモの芽取りがついていないので、これも代替えとなる。
アパート退去の立ち合いである。業者がたちが悪いという評判なので、ケイの同居人と俺とケイのにぃにぃの3人が立ち合うこととなった。
不動産業者のひどい奴にはいままで何度かであったことがあり、心配だったからだが、今回はそんなこともなく取り越し苦労だったようでよかった。敷金を入れてない契約だったんで、最低でも家賃の1か月分は覚悟してたが、実際は半月分で済んだ。
ケイの同居人と別れ、ケイのにぃにぃとだらだら歩き、バスでJR駅そばの、もと百貨店だったビルで昼食にした。各階にはバラエティに富んだテナントが入り、もと百貨店よりも面白い。
昼食はフードコートの中のシンガポール料理にした。俺は「ラクサ」、ケイのにぃにぃは「鶏飯」。
食後、同じビル内のテナントをいくつか冷やかした後、駅をはさんで反対側にあるリサイクルショップを冷やかす。
そこでケイのにぃにぃとは別れたが、風邪の症状がひどくなったんで、一旦自宅に戻り、くすりを飲んだりしてからケイのねぇねぇのところへ向かう。
その前にハツ子の迎えに保育園に寄る。
途中でコンビニに寄り、おやつを買う。ハツ子が選んだのはグミのようなゼリー。
この日の新聞はケイのねぇねぇのところで読む。
首里城が炎上したことは、朝、ケイの同居人から知らされスマホで画像も見せてもらったが、つくづく残念だと思う。本土は台風や大雨でひどい目に合ってるし、今度は辺野古などでひどい目に合い続けている沖縄でもこれだ。日本の厄年だな。おっと、沖縄は日本じゃなかった。
首里城自体には何の思い入れもないが、観光収入などを考えると胸が痛む。
上野動物園のモノレールの運行が終了するとのこと。これにも乗ったこともないし、思いいれもないが、多くの人が残念がる気持ちは理解できる。
そういえばゆいレールが延長して、観光収入がアップするだろうと期待を込めた記事を目にしたのもつい最近だった。
二つの出来事とも地元の景気に関係していて興味深い。法相の辞任なんてくそくらいの記事だもんな。
パイ男とじゅうじあろうが5時過ぎに帰宅。放課後学童教室がちょっとつらそうに思う。まだ、鍵っ子のほうが子供のためにいいような気がするのは、自分の餓鬼時代をおもうからだ。子供には自由が必要で、今、しばりつけ過ぎてると思う。自由の中で物事の善悪を判断するようになるのではないかと考えている。当然悪に染まることもあり、それは結果だけ見れば同じことかもしれないが、その過程が違うからリセットの可能性があるのは、やはり自由に育っていたほうが大きいと思う。
ハツ子も早く帰宅できることを喜んでいたことも普通なんだろうな。
夕食は冷蔵庫内のもので完結させた。「茹でキャベツのおかか和え」、「茹でピーマンの昆布佃煮和え」、「茹でほうれん草のなめたけ和え」、「たまねぎとトマトの卵炒め」、「大根と麩の味噌汁」。
お湯の使い回しで効率的な調理だ。昆布の佃煮がやたら在庫があり、以前ケイのねぇねぇから同居人の好物であることを聞いていた。ほうれん草はお亡くなりになる寸前だったんでおまけ。
大根の味噌汁が少し残ってたんで倍に薄め、味噌と調味料を足してから麩を加えた。
パイ男は一人で、ハツ子とじゅうじあろうは二人で入浴を済ませた。まあ、1日くらい入らなくとも良いと思ってるんで自由にさせた。
9時半、ケイのねぇねぇ帰宅。
俺は10時半に帰宅。さすがに調子悪い。薬飲んで、若干アルコール消毒して12時ダウン。
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