やたらに他人とか世間と比較して生きる人が多くて、ちょっと疲れ気味なんじゃないか?最近ようやく自分のペースがつかめてきた感じ、と思ったら残り人生あとわずか。それでもこのペースは変えたくないもんだ。やわらかく生きたいもんだねぇ。
2021年3月15日月曜日
新聞の耐えられない重さ
3月14日。星期天。 116/82。64.7㎏。97。33.8度。
今日はクインシー・ジョーンズの誕生日で、御年88歳だそうである。今朝、ラジオで彼の曲とすぐわかったが、ラジオで流れるのは珍しいので、そのあとのDJの解説で知った。
で、さっそく持っている彼のCDを引っ張り出して、今日は1日「クインシー・ジョーンズ三昧」とした。
早朝キッチンは「パニーニ」制作。
朝食は残り物のパスタソースとパニーニ、ほか。
古新聞回収業者が来なくなってからずいぶん経って、駐車場の倉庫にたまっていた古新聞&折込広告を「子供会」に寄付することにした。ゴミとして出すよりましだと思ったからだ。ついでにたまっていた段ボール(スーパーから買ったものを運ぶために使ったもの)も出した。
出した新聞の束は一束10㎏あり、全部で10束100㎏だった。供出場所が倉庫からすぐ近くなので助かった。
9時前に買い物。24時間スーパー~イオン系のスーパー2軒~セブン系スーパー~近所のスーパー。
昼食は「茄子のトマトソースパスタ」。手元のリコッタチーズが加わったレシピだったので繰り上げ採用となった。
茄子は炒め蒸ししただけのトッピングなので、これを変えてもいいんじゃあないだろか。おいしいソースだった。連日ミキサーが役立っている。が、リコッタチーズが思ったほど、その個性が際立たないんでちょっとがっかり。リコッタチーズそのものが豆腐みたいだし、仕方がないか。
小説、あと20ページくらい残して映画を観ることになった。午後のロードショーは「存在の耐えられない軽さ」。1988年、フィリップ・カウフマン監督・共同脚色作品。
ダニエル・ディ・ルイス、ジュリエット・ピノシュ、レナ・オリン演ずる三人のラブストーリー。背景が「プラハの春」で、1968年のチェコの生々しい現実と人生を見つめる女性と「軽い」男の変容を描く。
小説の構成が複雑なのに対し、映画は時間の流れを素直に撮っているのでわかりやすい。
なかば、ソ連の侵攻の場面が白黒で撮影されていて、デモの鎮圧場面の迫力がすごい。香港~ミャンマー、現在と変わらない映像だった。
もともと社会主義国だったチェコが、外部の力によって「文化大革命」されちまった、ということで、知識人が集中するプラハでの検挙・弾圧はひどかったらしい。弾圧のひどさはプーチンが正当に引き継いだな。
他人を分断し、疑心暗鬼の生活に変えていく様相はまさに共産主義とナチズムに違いがないことを表している。
小説でのサビーナと関わるフランツのエピソードがカットされてるが、これは納得できるな。終盤の民宿に泊まる二人の部屋の番号が「6」というのも、二人の出会いがフラッシュバックされて、そのあとの悲劇をより強い印象を与えることに成功している。
有能な脳外科医師の主人公が最後に農耕生活で幸福を得て「重く」なったところで終わるドラマが「重い」。
夕食は「にらまん」、「中華スープ(具材はかにかま、メンマ、長ネギ、余った餃子の皮)」、「青梗菜のオイスターソース炒め」、「ブロッコリー・タルタルソース和え」、「なます」。
発泡酒~焼酎の水割りをちびちびやりながらクインシー・ジョーンズを聴く。〆にボンベイサファイアを飲んで9時、血圧測定してダウン。
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