やたらに他人とか世間と比較して生きる人が多くて、ちょっと疲れ気味なんじゃないか?最近ようやく自分のペースがつかめてきた感じ、と思ったら残り人生あとわずか。それでもこのペースは変えたくないもんだ。やわらかく生きたいもんだねぇ。
2022年10月19日水曜日
質問権vs拒否権
10月18日。星期二。 107/69~106/65。計測忘れ。96。
3時半起床。
掃除。
今のところ大量消費(それも追いついていない)の唯一の手立てとしている「シカクマメのポタージュ」制作。
「さつまいもの葉柄のナムル」、「温泉卵」は昼食用。
朝食は「ゴーヤーのケイジャンスパイス卵炒め」、「さつまいもの葉柄の佃煮」、「ミニトマトのピクルス」。
庭作業は空心菜他を収穫。へちまの控えがこのところ増加中であることを確認。シカクマメのピークは何度目だろう。今朝59本、午後10本。やれやれ。今朝加工した分以上の収穫である。
9時から近所のスーパーへ買い物。10円もやしのほか千円以上の買い物をして99円卵も買う。
「質問権」。初めて聞く言葉。内容を読んだら、政府に対して使いたいものだ。が、拒否した時の罰金が10万円じゃあ間違いなく拒否するに決まってる。
昼食はケイのにぃにぃが作った「ビビンパフ」。お手伝いは「もやしのナムル」、「空心菜のナムル」の制作。「にらのダシダスープ」。
午後のロードショーは「アイダよ、どこへ?」。2020年、ヤスミラ・ジャバニッチ脚本・監督作品。「サラエボの花」でもボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の悲劇を描き、強烈な印象を残したが、本作はやはり紛争中のセルビア人による大虐殺と、国連の通訳である元教師の女性とその家族の悲劇を中心に描く。直接的なシーンはないが、そのむごさはそれ以上に伝わってくる。
が、虐殺後の死体発掘で、身元確認をその家族がするシーンが描かれたのは初めてじゃあないだろうか?というか、この虐殺の映画化自体が初めてらしい。
ボスニアで暮らすアイダが勤める学校では加害者側のセルビア人家族が自分たちの子供の学芸会を参観しているシーンもショックだった。さらに、自分が暮らしていた家が他人に使われていることを突き止め、出ていくよう勧告するシーンも。
国連平和維持軍の無力さをまざまざと見せつけられて、対抗策は自衛しかないと短絡的な考えに行きつくことも理解できる。が、映画の後地図を見ると、入り組んだ地形に主な3種の民族とその宗教の違いから起きた紛争を、そのまま日本に置き換えることは愚かなことだ。
夕食は「キャベツのひき肉サンドステーキ」、「シカクマメのニンニクオイルがけ」、「モロッコインゲンのピーナッツバターソース和え」、「和風トマトサラダ」、昨日の残りのアヒージョオイルを使っての「たこのアヒージョ」。
「キャベツの..」は作りにくいし、味付けもパッとしないもので、✖を自分で出した。
発泡酒~千葉県産純米酒をちびちびやりながら庭談義。明日、雨が降ってなければインド料理屋で「ほうれん草カレー」を食べるランチ案が賛成多数で可決された。
〆にウイスキーを飲んでから、8時10分、血圧測定してダウン。
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