2011年3月14日月曜日

海辺で住むためには

都知事は今回の震災について”天罰である”と述べたことについて。
まさにその通りであると付け加えたい。

 古代人は河口に村を作り次第に高地へ移動した。高地は戦略的、防御本意に考えれば当然帰結する場所なんである。しかも天災に備える考えももちろんあったはずだ。

 現代はそんなことは考える余地、そして余地、更に予知がなさ過ぎたんである。

土地はますますなくなり危険地域まで開発して住まわせなければならぬほど逼迫している。
たとえば東京で言うならば江東区。

 海辺では住まないんである。古代人が科学的根拠がなくとも危険を察知して住まわなかった場所に住んでいた人、それ自体が過ちであるということを証明してしまったんである。

 古代に習え! と、考古学は言える立場にいる。

考古学がつまらない学問になっちまったのは現生活と乖離しすぎっちまったことが原因であることを今回の教訓を生かして現代に対して警鐘を鳴らす学問になってで欲しい願う。

伸び悩みと飲み悩み

自信満々の上でのことだったろう。ある果汁メーカーが商品のデザインを刷新したところ売り上げが激減したそうである。

その商品はロングセラー商品で買ったことはないがデザインだけはよく憶えている。なるほど新製品のデザインと比べると従来品の方がインパクトが強く個性的だったのにリニューアル品はどちらかといえば個性がないものであった。そこでもとのデザインに戻すらしい。
 
 これを分析するとこういうことになる。メーカーは売り上げの伸びの止まった商品をデザインを変えることにより改善しようとしたのに違いないが、旧デザインに慣れ親しんで購入していた人たちがリニューアル品が見分けられなくなるとは考えも及ばなかった。

 前のデザインは購入意欲をそそるものであるにしろ限界まで稼いでいたことになる。マーケットの限界に自らの力で到達してしまったんである。

 これは多分色々な商品についてもいえることである。つまり既存のカテゴリー内の商品は余り始めたんである。その範囲で新製品が出れば既存の商品の売り上げが落ちる。トータルでの成長は止まってるということだ。更に成長を望むなら人口の増加を期待するしかないんじゃないだろうか?

 現在の市場を考えるならお隣の国の消費拡大ってところか?

人口が伸び悩みならマーケットもオーバーストアになるのは当たり前で、それでも拡大路線を貫こうとするアホ企業がいまだに多いことに国内産業の暗い将来を見るのである。

そこに来てこの震災である。計画停電などで国民が「なくても困らない生活」に気がついたら経済の復興なんて何年かかってもできないだろうなぁ。今回の事象により原発の安全性より電力を使わない生活に戻すことがどれだけ地球のために良いか、気づく人が増えることを祈りたい。

今夜のメニューは「海老と豆腐のサラダ」、「南瓜と豚肉の辛味炒め」、「小松菜の味噌汁」、「あおやぎ(本当にスーパーで並んでるのを見つけたときは驚いた)のぬた」、「白子ポン酢」。
 誕生日に長男からプレゼントされた日本酒でつまみたいおかずになってしまった。家のみはなるべくしないようにしてきたんだが.............。


 

 

2011年3月12日土曜日

待ち遠しい春と地震明け

寝不足の人が多いはずの土曜日である。

昨日1日ぐだついていたんで、なんとなくすっきりしない。そこでジムへ。
がらすきである。インストラクターに尋ねたら土曜日のこの状態は初めてだ、とのこと。

 トレッドミルも待ちなし。ところがやはり30分走って足が痛くなってきた。すっきりしないままストレッチだけは念入りにして帰宅。

 天気はいいのに出かけるのもちょっと気が引ける。いまだに強くはないが余震が続いてるからである。明日はマンションの総会の予定だったのがこの地震のために順延になったんで、明日もこの状態は続くんである。まっ、おとなしく本でも読んでんのが一番かも。

 村野守美という漫画家が亡くなった。ファンでもなんでもないが、40年位前の絵の特徴をおぼえていたんでちょっと懐かしく思い出した。作品の記憶はまるでない。
 この人は手塚治虫のアシスタントもつとめているし虫プロにもいたようである。絵のタッチはほんの少しではあるがやはり手塚の影響がみられる。これはどの漫画家にも言える。あの横山光輝(初期)でさえもである。
 何年か前に亡くなった永嶋慎二もその一人である。彼はアシスタントはしてなかったと思うが...。彼は「黄色い涙」が嵐の主演で映画化されたことによってもう少し見直されると思ってたんだが、映画自体がヒットしなかったせいか、それっきりになってしまった。ホームレスが社会問題になる中彼の描いた「フーテン」なんかも見直されればいいのになぁと他人事なのに残された奥さんに入るであろう印税のことなんかを心配してしまう。奥さんとはちょっと話しただけだが良い人そうに見えただけに...。

 というわけで阿佐ヶ谷で飲みたくなってしまった。ここでは永嶋慎二の遺作展がおこなわれた喫茶店でコーヒーを飲んだだけで赤提灯の暖簾はくぐってないんである。この春の散歩コースにしてみたいものである。

 今夜のメニューは「海老と豆腐の中華風炒め」、「小松菜と鶏ささみの煮物」、「かぼちゃ汁」。

2011年3月11日金曜日

月島散歩

今夜は長女夫婦、長男も来ることになってたんで食材を多めに仕入れしておいたのがこの地震で冷蔵庫の在庫となってしまった。仕切りなおしで2人前のメニューを考えることになった。すべきことが大分減ったんでブログでも....。

 

 昨日は天気も良く散歩にはもってこいだった。銀座まで2個の時計の修理をしに行って来た。
ひとつはバンドが切れた。ひとつは動かない。しばらくそのままにしておいたが、やはりないと不便なので思い立った。
 この2個の時計は同じメーカーで正規の修理は銀座のスオッチのビルの中にある。

オープンの様子を知ってたんで受付で「ジョージクルーニーはあれからも来た事があるんですか?」と尋ねたら笑って「来てません」との返事。
 このビルもきれいで雰囲気もいいが、5階の修理コーナーも素晴らしい空間を演出している。待ってる時間も楽しいところである。
が、今回の修理の見積もりは落胆するには十分すぎるほどであった。バンドは無償でなおしてくれたもののもうひとつはオーバーホールの必要性から約7万円、バンドがへたってるんでこれの交換で6万円以上かかるとのこと。合計で約13万円。買った当時20万円くらいだったがこの修理代で今後の使用を諦めた。知り合いのリサイクルショップに進呈するつもりである。シリアルナンバーつきの記念時計(ジャックマイヨールの潜水記録)だから中には欲しがる物好きもいるだろう。

 大体時計なんか1個ありゃ沢山なわけだが、これを購入したときはゆとりがありすぎるくらいだったことを思い出す。こうなるとやはり物は必要以上に持つものではないな、と思う。

 少し肩を落としながら銀座から勝鬨橋を渡って月島まで歩いた。徒歩でこの橋を渡ったのははじめてである。
 親友Tと飲むために来たのであるが3時間以上前に着くように来たのには理由がある。
ここには月島スポーツプラザという施設がありジムやプールがあり、以前(10年くらい前?)来たときに次回来るときはここで泳ごうと決めていた。が、それから何度か来たものの泳ぐチャンスがなかった。

 ここで1時間泳いだ。フリースイミングコースは広めの2コース。続けて泳ぐ人には泳ぎにくい。一方通行なのである。もっとも1コース往復になると自分のように遅い人が泳いでいるとそれはそれで泳ぎにくい欠点もある。ベストなのは両方備えてあるタイプなのだが、なかなかそのようなコース設定されてるプールにお目にかからない。

 出てから近くにある月島温泉で冷えたからだを温めた。やはりプールの後はひとっ風呂浴びたいものである。
 脱衣場で彫り物があるお兄さんが愚痴をこぼしていた。独り言である。なんでも中でもめたらしいのだが真相まではわからなかった。かかわりはもちたくないのは当然で急いで風呂場へ直行したのは言うまでもない。
 ここの水は軟水でぬめっとした感じである。「軟水なので大事に使用すること」というのは軟水にするためのコストのことを言ってるんだろうか?
 ゆっくり浸かり身体は十分に温めた。喉が渇いたが後30分でビールを飲むことを考え我慢することにした。
 そして我慢の限界というところで生ビールを飲んだときの至福は久しぶりに味わうものだった。

ただ自分がネットでの評判で選んだ店ははずれで、料理自慢をうたってたはずなのだが品書きに載ってるものは殆んどないとのこと。しかも今日のおすすめ(が記されてると本人は思い込んでいる)の白板のメニューでさえ1品ないんである。暖簾を出してから1時間足らずのはずだが、ありえないことが続いたんで興ざめしてしまい、せっかく暖めた身体も冷えちゃうんじゃないかと思った。親友にも申し訳ないことをした。親父の愛想の良いことだけは取り柄の店だ。
 仕方なく白板のメニューから4品ほど頼んでビール、ハイボールをやっつけた。

 店の選択は「酒場放浪記」を参考にしたが、1軒は超人気店で行列必至なので諦め、もう1軒は猫がいるってことで没とした。食い物やで出すのは食うための獣であって、愛玩はご法度としている。
そこで他のページで探したんである。
 場所は月島だが「もんじゃ」で一杯やる気は毛頭ない。あれは餓鬼の食いもんである。もっともかなり腹が減ってたんでお好み焼きでもよかったかな、と少し後悔している。

 それにしてもこれを書いてる間も時々揺れる。朝は二日酔いでふらふら自身が揺れてたが、夕方になってぶり返した?ようである。

2011年3月9日水曜日

もっとなゴーヤーかに...

やはり沖縄である。
 何とかという元総領事がしゃべったことに対しての反撃がすごいことになっている。

 が、そんなに憤ることなんだろうか?”ゴーヤー”に関しては間違ったことは言ってない。生産出荷量とも日本一は群馬県である。沖縄JAの怠慢だろう。

 ”ゆすり”に関しても要求の方法がある程度補償問題だけが目立ってるんで、第三者から見たら別段悪いことではないし仕方のないところだと思う。

 ”空港の危険度”に関しても事情通ならば誰でも知っていることである。驚くことでもなんでもない。

 一番取り上げられてしかるべきは”日本政府と沖縄とアメリカ政府”のやりとりの不可解さに言及した点であろう。日本政府は両方に違った回答を出している点をついたことこそ沖縄は大きく取り上げて世論に訴えるべきである。「よく言ってくれた」と言うべきだ。

 ことが感情論になりすぎてるんで、しかも(馬鹿)新聞があおってるから尚更核心を見逃してる。全ての悪の根源が(日本)政府にあるってことなんだから。


 堅い話は苦手なんで。今日はピンチヒッターで午後のサービス2軒受け持った。近くに図書館があるのでサービス開始まで1時間以上そこで過ごした。半分を考古学の入門書めいたもの、半分を吉行淳之介の対談集を読んだ。吉行のは題名が「やわらかい話」。その中で開高健との対談を選んだ。

 最初から最後までエロ話、特に同性愛やアブノーマルなどの話で終始し、ちょっと辟易した。
もう少し浅草の情緒が感じられるものかと思ったんだが、開高の話もうんざりしたし吉行のは更にである。とても他のを読む気になれなかった。”やわらかい”のとはちょっと、いや大分違うんだがなぁ。


帰り道ホームセンターで”沈丁花”をふた鉢買った。実家の庭に植えるためである。以前から長男が欲しがっていたものである。トイレの芳香消臭剤の香りでは金木犀が有名だが、”ピコレット”という商品に”沈丁花”がラインナップされたときは珍しかったものだが思うように売れなかったと見えて短命に終わったことを思い出した。

今夜のメニューは「キャベツと豚肉の炒め物」、「たまねぎの味噌汁」、「オクラと納豆の和え物」、「ウインナとコーンとブロッコリーのマヨサラダ」。

2011年3月8日火曜日

頑張りやのキャベツ

今朝は新聞の記事から「セルフネグレクト」について考えさせられること、現場の問題についても気にかかることなどあるが、とりあえず気にかかるのは生ゴミである。

 ベランダでおこなっている生ゴミの堆肥化(の初期の段階)で気になることがある。二つのポリ容器も1ヶ月でそろそろもうひとつの容器に各5分の一くらいの量を移し変えなければならない。
 ここで2次処理をするのだが、これも1ヶ月を要する工程である。気になるのは1ヶ月経つというのに青々した葉が残るものがあるということだ。あさりの殻やアボガドの種などは仕方ないにしてもキャベツの葉は意外だっただけに、どうしたもんだろう?
 これは外側の葉である。他にもたまねぎの皮は薄いプラスチック状になって何ヶ月経っても変わらずにいるがこれは別格?。他の野菜の外側の葉や皮は大体土色になって順調に進行しているのだがキャベツだけは別物であるようだ。

 これは内部を保護するために頑丈にできているのだろうが、食するにもまずいんでこうして生ゴミの仲間入りをしているわけで実に厄介な物である。

 明日も掘り返して、相変わらず頑張ってるキャベツのパワードスーツと顔を会わすことであろう。

今夜のメニューは「焼肉(いただき物のたれは味が濃いがうまいんで)」、「キャベツの味噌汁」、「タコときゅうりの酢の物」、「モヤシのナムルと市販のキムチ」。ご利用者の家の近くのスーパーで牛肉の特売があったんで自宅で焼肉ということにしたが、費用対効果はいいと思う。

2011年3月6日日曜日

ほっと...した(ホットな)日曜日

 鴎外の「山椒大夫」。物語は漫画映画か幼年雑誌かなにかで知っているが、まともに読んだのははじめてである。記憶が違ったのか、その当時読んだものが改作されていたのかわからないがハッピーエンドだとばかり思ってたのが大分違った。
 姉が死に、父親はとうになくなっており弟と盲目になった母親が生き残るのであった。淡々と話が進んで読み終わって何かが残るのかといえば何も残らないというのが正直なところだ。

 この話を含む短編集には歴史物から着想をえてかかれたものが集められているが、この話だけは訴えかけられるものを感じ取れなかった。

 今日の午前中の大学の試験前、昨日は試験勉強にも飽きてDVD鑑賞。「ハブと拳骨」、「69」。

 最初が沖縄物、後者は佐世保物。共通はベトナム戦争当時を背景にしてる点である。まるでスタイルは違うが郷愁を帯びてる点が似ているかもしれない。
 前者はかなりやくざ物の話としては飛躍しすぎてるし無理も多い。設定をもう少し一般人の物語としても良かったんではないだろうか?役者の演技も悪くないのでもったいない気がした。
 石田えりの母さんぶり、「サッドバケィション」をほうふつとさせる熱演である。その同じ作品で共演してた宮崎あおいも演技はともかく写され方(カメラワーク)が良かった。暴力場面はくどすぎた。たけしの作品などを参考にして欲しい。あっさりしてるほうが印象を深くすることもある。

 後者は青春物。クドカンの脚本というだけで見るほうは疲れるのを覚悟して見る。村上龍の原作のなかの69年代の郷愁をそのまま移し変えたとはいえないだろうが、あまりべったり見せられるより良い。興行的にも客を絞り込み過ぎないのではないか?
 同じ村上龍原作の題名は忘れたが森田芳光が映画化した作品はかなりべとついていたっけ。思い込みの強さは主人公に反映するものである。それがこ「69」では主人公の父親に投影してたのが救いだった。

 そして今日は試験日。同じ大学内で「薬剤師国家試験」の試験もおこなわれるようでいつもより人が多く資格ブームに沸く昨今であることを実感した。そういえばこの大学では必ず何らかの資格試験がおこなわれていた記憶がある。
 今日は1科目。開始後30分で書き尽きたので改めて見直したら構成順序が逆になっていることに気がついたが、改めて書き直しても内容自体は変わり映えもしない程度の稚拙な内容ゆえ、手を加えずそのまま提出してきた。向上心のないところ相変わらずである。



  本日とても気温が高い。ということで銭湯日和である。時間的にもちょうど良い。帰宅して台所に立つ時間もちょうど良い頃合となりそうである。

 今夜のメニューは「豚のしょうが焼き」、「ほうれん草のサラダ」、「わかめの味噌汁」、「白菜と油揚げの煮びたし」。