昨日は集中名画鑑賞講座ってとこ。
朝から3時の整形外科~整骨院へゆく時間までに3本を鑑賞。
「西鶴一代女」。1952年溝口監督代表作であり、たびたびタッグを組んでいた田中絹代にとっても代表作といわれる。家族で宮に使える身でありながら身を落としてゆく「春」という主人公の人生を実にテンポよく描き切っている。
田中絹代=薄幸な女のイメージはここでも十分発揮されており、当時であれば当然絶大な共感を呼んだであろうことはこの作品の翌年に生まれた俺にも察しが付く。
「山椒大夫」といい「夜の女たち」などいい作品を残した二人の記念碑的なものである。
「ザ・マスター」。PTA(ポール・トーマス・アンダースン)監督作品。
同監督作品常連のP・S・ホフマンの演技は言うまでもないが、J・フェニックスのふて笑いがP・ニューマンの若いころと似ていたんで驚きながら最後まで注視してみた。
カルト集団から洗脳されて、まとも(集団にとって)になった男が、違和感を感じ離れるところまでを描いたものだが、これが「オウム真理教」と同じように観られている。
が、まったく別物の話であり、あくまでも視点を二人の葛藤を中心に置き、尋常ではない世界をまっとうと考えてる人間にとって、いかに外の世界がつまらぬものに見えているかを語ったものであると思う。「ある視点から見た世界」とでもいうか。
「凶悪」。「ゾディアック」とか「スレッジ」を想起させる。
主人公が執拗なまでに事件を解明しようとする、というより殺人者をひたすら死刑に追い込むという妄想に縛られてゆくという狂気を描く一方で、犯人二人の行状がこの主人公よりも淡々と事件を起こしてゆく彼らの日常と対比して描いてるところに、この作品の特異性がある。
三人の役者の持ち味を出させた脚本と演出に脱帽。ただ撮影がなあ。小津さん式ではダメ。
主人公の私生活での問題点に介護を絡めたのは常套かもしれなかったが、これはなくてもよかったかもしれない。そうすれば90分ちょっとでずっしりした作品になったかも.......。
夕食のメニューは「豚ばら肉と茄子のかば焼き風味炒め」、「ニラもやし中華スープに焼餅が入ったもの」、「ぬか漬けキュウリ」。酒抜き。
食後最後の1本。「リアル 完全なる首長竜の日」。
人間の意識の中に入ってゆき、過去の秘密を暴いてゆき、それを受容することで生き返るという話。かなり回りくどい展開で、これも夫婦の置かれている現実を逆転されるところまでの話をカットしてもよかったんでは、と思う。
終盤の首長竜がペンダントをもらってあっさり引き下がってしまうのには拍子抜けしてしまった。もっともそこまでも時間的に長かったんで、結末にも興味を失っていたところなんだが。
黒沢さんの今まで観たものの中では✖だな。
1日4本、疲れたな。やれやれ。
0 件のコメント:
コメントを投稿