



帰る日の前日はフリータイムを1日とるというスタイルにしたのはいつごろからだろう?ダイビングも悪くないが、どちらかというと時間を気にせず1日ぶらぶら出来るこの時間が大好物である。
徒歩で比較的近い久米島自然文化センターへ。ここで島の歴史や風土の特色などを学びながら、島を歩くという優等生的なフイールドワークである。自分に向いてない始まり方をしてしまった。
山もあることはあるんだが自分が歩いているところがそうだとは気がつかぬ間に山らしきところを歩いていた。要は迷ったんである。
うっすら太陽は当てにならなかった。磁石を見て確認したら、方角的には間違ってなかったんだが、なんせ道がそちらに向いてない。仕方なくくねくね歩くしかないんである。
道は全てサトウキビ畑の中。3mはあるサトウキビ畑に入ると風は止み、暑い。蝉は変な鳴き声だ。”ジリジリグエッグエッ”とか”レンレンレン”とか。やはり島なんである。
しかもいたるところに大きな墓だ。山や崖を削って作られている大きな墓が目につく。ほかの島に比べても大きいものが多い気がした。
山を抜け、なだらかなだらだら坂を下りるとそこは仲里。ダイビングショップがあるところで、島の中心地に当たるところである。ホテルからは車で10分程度。こちらのホテルであれば一昨日のように飲み屋を探す苦労はしないで済んだのに。
生協COOPでドリンクとりんごとアンパンを購入。果物がとれないんで毎日商店でバナナとりんごを買って食べている。なぜかりんごが美味い。この昼は食欲がなく、腹が減ったらいつでも食べられるようにアンパンなんである。
奥武島への橋を渡り、観光名所になってる”畳石”を見物。そして徒歩で浜を歩き、島を一周した。小さな島で、それでもサトウキビだらけである。この島の先には、この島の売り物のひとつの”はての浜”という砂浜がどこまでも続く無人島がある。
前日の予約で行けるらしく、今朝フロントにたのんでみたがだめだった。昨夜は酔っ払ってたんで予約を入れ忘れたんである。
そこから先さらに西部へ進み、2.3の観光名所を見た後”ゆいまーる”という名の特産である紬工房と展示館が一緒になってるところを見学した。
さすがに疲れたんで島の路線バスを使ってホテルに戻ることにした。バス停で確認すると右回りと左回りにバス停が分かれていて、ともに1日に5便程度の運行であり、このときは10分ぐらいで来るようになっていた。左回りだとかなり遠回りになるが、一昨日回ったところも通り、これで島1周したことになる。
客は地元の人と2人。運転手が気を使ってくれ、観光名所である停留所でアナウンスしてくれたが、こちらが下りる気配がないことから、逆に行き先を聞かれたので答えると、次からどこを通過してもバス停の名を呼び上げることはなく、地元の客が降りてからもそれはなかった。
さて、自分が指定した場所についてもバスは通り過ぎて止まる気配がなかったが、次の停留所の手前で思い出して停まった。しかし、その場所のほうがホテルの目の前だった。自分の勘違いであったが、運転手のミスに助けられたわけである。
島のほとんどを回るほどの遠回りのバスツアー、料金を尋ねると200円。バスから見る景色も良かったしもうけものであった。
風呂浴びて、島で1件しかない中華や”海皇(はいふぁん)”へ。実は奥武島のそばで車えびの養殖場を見て、無性に車えびが食いたくなってたんで、ほかの飲み屋も候補に上がってたんだが、ここにしたんである。
まず、生と”ピータン(200円)”、”水餃子”そして”車えびの唐辛子炒め(絶品!)”。生のおかわりに”海鮮焼きそば”。これが余計だった。腹は膨らむし、第一具材が良くない。あきらかに冷凍品である。小エビとイカのカット具合でわかる。
めげずに”美ら蛍(久米島の3年古酒)”を一合。これに水と氷がついてきた。このスタイルがベストであり、石垣でも宮古でもこのスタイルで飲んだときの気分が良かったんで救われたぁ。
それに加え、窓からサトウキビ畑が眺められるし、焼きそば以外は申し分なし。
これで久米島の旅は終わり、明日の夕方は東京である。
東京に戻ったのが30日の夕方、同居人の晩飯を製作後四谷まで出かけ友人Tと飲み会。ちょっとハードだった6日間であった。
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