2009年10月8日木曜日

働き出した”栞”、働き出さない我。

二冊の本をほぼ同時に読み終えた。”日本のコリアをゆく”と井伏鱒二のエッセイである。
 前者は現在最も興味のある古代日本と大陸との関係に深く食い込まない軽いタッチの読み物である。この本の中で特に目新しい情報はなかったし、情報を集めるために読んだものでもなかった。

 小学生のころ、小学校の裏の畑で土器や石器を探したことなど、今頃になって思い出してどうすんのって?やはり、昨年の奈良への再訪がきっかけになったようである。それ以前からも国内の神社の成立には興味があったんで、まぁ少しまじめに本でも読んでみるか、ということになったわけであるが、その最初が軽めのものに落ち着いたわけである。

 後者はほとんど釣りに関する話。手を染めかけてやめてしまった趣味?のひとつではあるが、文字で読むものは本当に楽しい。今でもヘミングウエイの”陽はまた上る”の渓谷シーンを読み直したいくらいである。

 今夜のメニューは”もずくのチャンプルー”、”なめこの味噌汁”、”かぶの葉とじゃこの混ぜご飯”、昨日作った”おからの炒り煮”、”白菜のゆず漬け(自作)”。
 食後に(夕飯は6時から始まるんで...終わるのも早い)お隣から”かぼちゃとゆで卵のサラダ”をいただく。これは明日の朝のメニューにゲストで出演である。

2009年10月7日水曜日

失業者(で~んとしているもの)の憂鬱

 台風で大騒ぎしてるのは同居人。授業が遅れるかもしれない、非日常がそうさせてるんである。そういえばいつも行くスーパーのパンが異常な売れ行きをしていた?
 こちらは今晩のメニューがクリームシチューなんでフランスパンかバターロールを買いに行ったが、売り切れである。今朝も同店に買い物に行ってたんで確かにあの時点ではあったんだが。

 もう1軒のスーパーにも寄ったがフランスパンは売り切れ。仕方なく給食パンをふた周り小さくしたようなパンを買って帰ってきた。

 さて台風で閉じ込められても食料の備蓄は完璧である。逆に完璧だから面白みもないし、当然緊張感なんか生まれるはずもない。


 今日は茨城から持って帰ったお芋3兄弟(サトイモ、ジャガイモ、サツマイモ)の調理やその他で台所の時間が長くなったが、しっかりジムのプールで1時間泳いできて身体の調子も良くなってきた。

 製作したものは     ”スィートポテトパイ”、”おからの炒り煮”、”サトイモのクリームシチュウ”、”焼きかぶのサラダ”。

同居人の弁当、朝飯、昼飯等作ってると、沢山作ってる気がしたんだが、書き出して見るとたいしたことないよなぁ。後者2品は夕飯分だし。

長靴をはいた....


連日32度だった久米島がなつかしい17.8度の東京。危うく難を逃れた17号を押しのけ18号が上陸しそうな台風の状況であるが、こんなときでも外出せねばならぬことが多い。

 昨日は訪問介護業者からの呼び出しに応じ面接を受けてきた。その午後はジムへ。やはり雨の中である。


 そこで最近使い始めたのが長靴である。昨日も女性がはいていたのを2人ばかり見かけた。ただしデザインが良いもので自分のものとは隔世の感あり。

 カポカポ音がして、格好悪いなぁとは思うが実は他人からみれば似合っているのかも。水溜りに入って遊んだ子供のころを思い出す。目一杯まで深いところに入るのがスリルがあって面白かった。昨日もわざと入ったがそんなに深い水溜りが今の都内にあろうはずもない。いや、台風が上陸すれば出現するかも。

2009年10月4日日曜日

オヨヨの4日目  久米島











 帰る日の前日はフリータイムを1日とるというスタイルにしたのはいつごろからだろう?ダイビングも悪くないが、どちらかというと時間を気にせず1日ぶらぶら出来るこの時間が大好物である。








 徒歩で比較的近い久米島自然文化センターへ。ここで島の歴史や風土の特色などを学びながら、島を歩くという優等生的なフイールドワークである。自分に向いてない始まり方をしてしまった。




 山もあることはあるんだが自分が歩いているところがそうだとは気がつかぬ間に山らしきところを歩いていた。要は迷ったんである。




 うっすら太陽は当てにならなかった。磁石を見て確認したら、方角的には間違ってなかったんだが、なんせ道がそちらに向いてない。仕方なくくねくね歩くしかないんである。








 道は全てサトウキビ畑の中。3mはあるサトウキビ畑に入ると風は止み、暑い。蝉は変な鳴き声だ。”ジリジリグエッグエッ”とか”レンレンレン”とか。やはり島なんである。









 しかもいたるところに大きな墓だ。山や崖を削って作られている大きな墓が目につく。ほかの島に比べても大きいものが多い気がした。






山を抜け、なだらかなだらだら坂を下りるとそこは仲里。ダイビングショップがあるところで、島の中心地に当たるところである。ホテルからは車で10分程度。こちらのホテルであれば一昨日のように飲み屋を探す苦労はしないで済んだのに。






 生協COOPでドリンクとりんごとアンパンを購入。果物がとれないんで毎日商店でバナナとりんごを買って食べている。なぜかりんごが美味い。この昼は食欲がなく、腹が減ったらいつでも食べられるようにアンパンなんである。






 奥武島への橋を渡り、観光名所になってる”畳石”を見物。そして徒歩で浜を歩き、島を一周した。小さな島で、それでもサトウキビだらけである。この島の先には、この島の売り物のひとつの”はての浜”という砂浜がどこまでも続く無人島がある。



 前日の予約で行けるらしく、今朝フロントにたのんでみたがだめだった。昨夜は酔っ払ってたんで予約を入れ忘れたんである。






 そこから先さらに西部へ進み、2.3の観光名所を見た後”ゆいまーる”という名の特産である紬工房と展示館が一緒になってるところを見学した。






 さすがに疲れたんで島の路線バスを使ってホテルに戻ることにした。バス停で確認すると右回りと左回りにバス停が分かれていて、ともに1日に5便程度の運行であり、このときは10分ぐらいで来るようになっていた。左回りだとかなり遠回りになるが、一昨日回ったところも通り、これで島1周したことになる。



 客は地元の人と2人。運転手が気を使ってくれ、観光名所である停留所でアナウンスしてくれたが、こちらが下りる気配がないことから、逆に行き先を聞かれたので答えると、次からどこを通過してもバス停の名を呼び上げることはなく、地元の客が降りてからもそれはなかった。



 さて、自分が指定した場所についてもバスは通り過ぎて止まる気配がなかったが、次の停留所の手前で思い出して停まった。しかし、その場所のほうがホテルの目の前だった。自分の勘違いであったが、運転手のミスに助けられたわけである。



 島のほとんどを回るほどの遠回りのバスツアー、料金を尋ねると200円。バスから見る景色も良かったしもうけものであった。









 風呂浴びて、島で1件しかない中華や”海皇(はいふぁん)”へ。実は奥武島のそばで車えびの養殖場を見て、無性に車えびが食いたくなってたんで、ほかの飲み屋も候補に上がってたんだが、ここにしたんである。






 まず、生と”ピータン(200円)”、”水餃子”そして”車えびの唐辛子炒め(絶品!)”。生のおかわりに”海鮮焼きそば”。これが余計だった。腹は膨らむし、第一具材が良くない。あきらかに冷凍品である。小エビとイカのカット具合でわかる。



 めげずに”美ら蛍(久米島の3年古酒)”を一合。これに水と氷がついてきた。このスタイルがベストであり、石垣でも宮古でもこのスタイルで飲んだときの気分が良かったんで救われたぁ。



 それに加え、窓からサトウキビ畑が眺められるし、焼きそば以外は申し分なし。






 これで久米島の旅は終わり、明日の夕方は東京である。









 東京に戻ったのが30日の夕方、同居人の晩飯を製作後四谷まで出かけ友人Tと飲み会。ちょっとハードだった6日間であった。






久米島3日目







3日目も二日酔い?でダイビング。1本目で潜行途中でマスクのベルトがはずれた。もうそろそろ変え時か?



 2本目はギンガメアジの群れを囲んだり、カマスの群れに遭遇したりして残圧に注意をはらわずにいて、安全停止の段階でほとんどゼロ。吸い込みが悪くなって初めて気がついた。ガイドさんのエアーを分けてもらい、すべきこともなかったんで腕を組んで停止していた様子がこっけいに見えたらしく、エキジットしてから関西のダイバーにやたらからかわれてしまった。






 海のコンデションは非常によく、午前と午後に1本づつだったんで体力的にも余力があったんで、3本目も楽しんだ。エントリーする前からイルカのお出迎えがあったりして。









 ホテルに戻り、日曜定休のレストラン”竜”へ。小島なんとかというタレントの親戚の店だそうで、そのタレントをはじめ芸能人の写真やらサインやらがやたら貼られている中から”仲宗根美樹”という懐かしい名を見つけた。自分が中学生だったころはやっていた歌謡番組などに出演していた流行歌手である。名前からして沖縄出身者であろう。



 野菜不足なんで注文したのが”ゴーヤーと島豆腐サラダ”、”もずく”、”枝豆(300円でこの量の多さに驚いた、しかも美味い)”を生2杯と久米島の水割りジョッキ(多い!)。






 そこでタクシーを呼んでもらい再度ダイビングショップへ。ログ付けしながらの飲み会に参加するためである。久米仙30度の水割りを3杯ほど。



 ホテルに戻り、ベッドにダイブ。

久米島日記 2日目











2日目は二日酔いのままダイビング。エントリーしてから気がついた。3月に潜って何のトラブルもなかった器材、実はそのときはレンタルだったんで去年の夏の石垣以来使用してなかったことを。








 若干不安を残しつつエアーをかなり食って一番最初のエキジットになりました。あがったら誰もいなかった。今日のこのショップは繁忙らしい。








 海のコンデションは普通だが透明度は30mはありドロップオフもなかなか良い。しかし点検を怠ったため水中ライトが点灯せず。








 午前中2本のスタイルとなり、ショップに戻りビール&食事。












 午後はホテルに戻り、自転車(無料)を借りて島の東部を散歩した。無料とはいえ油は3年ぐらい差してないようなママチャリは山がありアップダウンのきついこの島のサイクリングにはまるで向いていない、と気がついたときすでに遅かった。しばらくは平坦地を散歩していたからである。








 本島では手に入りにくい”久米島”の蔵元である”米島酒造”を見学。とても小さな蔵元で、見学者自分ひとりに案内が一人ついてくれ、製造工程を一通り案内してもらった。最後は事務所のようなところで2.3人がラベル張りを手作業で行っているところを見せてもらった。




 まさに手作りの酒が作られ、ゆえに島内での消費分の製造でていっぱいだそうである。








 上江洲(うえず)家(名家らしい)。この名も島内では珍しくない。本当に風通しの良い家であることが分かる。昔の人は家の良さの基準を風通しにおいていたということだ。












 島の観光地である鍾乳洞は、観光地化されてなくて、もちろん無料だがその代わり中へは暗すぎて誰も入れないんじゃないか?勇気を出して一歩踏み入れたとたんこうもりの羽音で、くじけた。












 その先、2.3の観光をして、最終目的地である”久米仙”の蔵元というより工場へゆく手前のパイン園で小学3年生くらいの女の子の接客でパインジュースを飲んだ。








 前述したとおり”工場であった。












 全身汗まみれになって帰還。入浴後、街へ。今夜は日曜日で飲食店はほとんど休みで昨夜行った店とスナックっぽい感じの飯屋の2軒しか選択肢がなく仕方なく後者へ。








 生、久米島の水割りを2杯、韓国のり(量が多い)、いかげそフライ、タマゴ&ポーク(玉子焼きとスパムを炒めたもの、なんじゃこりゃ?)、久米島そば。

2009年10月1日木曜日

モスキート沖縄戦開戦

那覇で乗り換え久米島に到着したのが夕方6時近く、それでも太陽が地平線上にあり、ホテルまで4.5kということで歩き始めたが30分で暗くなり、天気が良かったのが幸いしてなんとか歩道を歩き続けることだけは可能な状態でさらに30分歩きとおし町らしき土地を通り抜けそうになり、近くまで来ていることを確信し待ちのはずれにあった居酒屋”喜八”に突入。

 ”サクナ(青菜)の和え物”、”豚足の塩焼き(期待したが石垣のそれには及ばず)”、”唐芙蓉”、”ヒスク豆腐(おなじみ小魚トッピング奴)”、これらを生2杯、久米仙2杯で。

 テレビではローカルニュースで運天さんという方がつりに行って死亡したことを伝えていた。


 勘定のときにホテルの所在地を尋ねたら、やはり徒歩2.3分のところにあった。


 フロントでチェックインしてシャワー浴びて、そして何時にベッドに入ったんだろうか?3時ごろ蚊の羽音で目覚めた。
 ガラス戸を開けてあったが、カーテンは閉まっていたんで油断した。部屋の明かりを全てつけてから戦闘状態に入った。約10匹を撃破したが、何匹かは大量の血(俺んだ)を俺の手の中に吐き出し、何匹かはシーツやカーテンに撒き散らした。
 かなりの血の量であったが、かゆみがないので沖縄の蚊は毒を持っていないんじゃないかと思ったくらいだ。
 あるものは股間に攻め込んできて、張り付いたところを撃破したので、まさにその部分が血だらけになってしまったんで再度シャワーを浴びたりして、そのまま7時まで起きてしまうことになった。

 

 帰宅して今日から健康週間の始まりで、午後はジムで汗を流し夕飯も沢山食べないよう気をつけたり、今朝から同居人の弁当作りも再開したんで、かなり疲労気味である。旅行記の2日目以降は明日にしよう。
 今夜のメニューは”タコライス”、”もずくスープ”、”かまぼこ”。いずれも久米島のスーパーで買ったものであるが、かまぼこは不人気であったし、確かに美味くない。