2010年2月24日水曜日

TAKUTO誕生

今朝ひとつの命が生まれた。
  
 久しぶりに見る新しい命である。18年ぶりか。

 今回は長女が出産したTAKUTO君である。これで名実共におじいさんになったわけである。
もっとしわくちゃなものを想像して見舞いに行ったが、鼻が長女似のきれいな子供だった。

 順調に育ってくれ、と願うのみである。

 帰宅してお菓子を製作。”ザッハトルテ”、余熱を利用して”マフィン”、”スコーン”も製作。”ザ...”を長女にと思ったが、よく考えれば差し入れできるわけないじゃないか。
 ってことで、自分と同居人の腹に納まることになる。

 今夜のメニューは”エリンギといんげんの炒め物”、”大根サラダ”、”のっぺい汁”、”湯豆腐”。


 ここへ来て健康保険料の値上げとか年金の確認書類とかが郵送されてきて、改めて残りの人生設計を考える。平均寿命から算出すれば残り21年。年金受け取りまで8年、寿命まで13年年金で暮らすことになるわけである。
 面倒くさがらずに未来年表を作れば生き方もシンプルになると思う。もちろん家族のもである。ひとり身なら....なお簡素なものになるだろう。
 余分なものを廃して楽に生きて行けそうである。なんせたった21年なんだから。


 新しい命を見て改めて考えさせられた。思い出すは”自分が死んでも何処かで新しい命が生まれてることを考えれば、死ぬことを恐れはしない....”って歌う”and when I die”って曲だ。
 ただ、今流れてる曲はCSN&Yの”OUR HOUSE”である。

 実家のガーデニング作りがかなり遅れてることを想い出させる。

 

2010年2月22日月曜日

ブラッディマンディ

今夜のメニューは”かにとかまぼこのとろみ煮(刻んだレタスの上にのせたもの)”、”わかめの味噌汁”、”納豆とめかぶの和え物”、”たたききゅうりの辛味漬け”、”レンコンのきんぴら”、”ふろふき大根”。
 レタスとかれんこんの処理のためにメニューが増えてしまった。週末の実家での調理と二股かけてるんでマネジメントがうまく行かないことが多くなってきたようだ。


 2週間ぶりにジムで5kばかり走った。すっかり酒も抜けたようだ?

 まぁ、こういう台詞を何度となく吐いたものだが、当たり前のことなんである。1週間も前のアルコールが残ってるわけがないんである。残ってるとしたら脳みそがアルコール漬けになってる可能性は大であるが、これも事実ではない。
 つまりアルコール依存症ってのは精神病なんである。

 ”私の身体にはワインという血が流れてる”とのたもうたA大卒のK嬢というタレントも同病ではないかと思われる。しかし自分の身体の中には血しか流れてない。そして明日少しその血を他人様に分けてあげるつもりである(恒例の献血)。

 この後今夜はテレビ鑑賞である。9時からは”酒場放浪記”、今夜は北千住。多分というか絶対あの店だと思うが、どうだろう?
 10時から”北ベトナムの旅番組”。新聞欄に載った写真がシクロとバックの風景がフエである。3年前に歩いた場所。来週は南...をやるということで、それも楽しみである。

 

2010年2月18日木曜日

酒場放浪記の最終回?

 今夜のメニューは”メカジキの味噌味照り焼き”、”絹さやの卵とじ”、”大根の味噌汁”。

 A区の区政懇談会議、最後の出席のためあわてて済ませて開会ぎりぎりに到着。本当の最後は来月なんだが総論(区に対して提出する提案事項)は今夜まとまったんである。

 一昨年自主的に参加して以来、建設的な意見も出せずに顔出すだけの者であったが、とりあえず責任は果たしたつもりである。ちょうどその日は実家に行く土曜日に当たるため辞退した。


 実家といえば義父の午前中からの飲酒を発見した。先週のことである。

92歳の晩酌にしては量の多さに対し寛大な対処してきたが、ここらで方向を変えねばならないかもしれない。専門家の意見を聞くまでもなく過度の飲酒はアルコール依存症になる。ただ、それが認知症に直結してるかというと、その辺はあいまいであるらしい。
 が、どちらにしても要介護1としての認知症が進むことはあっても飲酒によって下がることはないんである。

 こう書く自分も最近の飲酒傾向をネットで調べたら間違いなくアルコール依存症であった。


 そしてその対策は簡単なもんである。  断酒。簡単な単語である。  つまり節酒は無理だし無意味だそうで、なおかつ断酒をもってしてもそれは完治するのではなく、一時的な断酒に過ぎずアルコール依存症に完治の道はないそうである。

 初めての飲酒から約40年、タバコと違い経歴も関係ないそうである。

 ただ、禁煙をした経験からすると断酒継続も不可能ではない。要するにやめ続けることは、何かをし続けるより容易だと思うからである。まぁ、酒の上での失敗も数え切れないほどやったし、そろそろ潮時かな、と思う。


 失業者の身で飲んでられない事情もあるし、その上この4月から大学の勉強もせねばならぬし、そうそう飲んでられない。
 ”勉強”というのも約40年ぶりである。
 ヘルパー講習の講師のA女史の話によれば、スクーリングに来てる人たちは皆熱心であり、その熱気に圧倒された、ということから酔狂では臨めないなとは思っていた......。
 冷やかし半分で受けたヘルパー講習とはわけが違うんである。ましてやお金もかかる。


”もっと、まじめにやれ~”    (”帰ってきた酔っ払い”の中の神様の台詞)ってことか。

2010年2月5日金曜日

情人苓(バレンタイン) 近し

 腰痛がしばらく起きない。

 が、今日は意外な部分が痛くなった。腹部である。
今日は午後予定があったんで、図書館も定休日であることから午前中にジムへ行ったところ、やはりシルバージムと化していた。トレッドミルは”歩く井戸端会議”。

 というわけで、この日は30分と決め、久しぶりにステップやら上半身用のマシンなどを使ってトレーニングした。やっと番が来て走り始めて20分ごろ腹が痛くなってきて、ウォーキングに変えて2.3分たった頃落ち着いたんで再開して走り終えた。

 なんだったんだろう?腹が痛くなったことなんか今まで一度もなかったのに。腹筋をやりすぎたってこともないはずだし。

 まっ、とにかく午前中のこのジムは使えない。


 午後は早めに夕食の準備を済ませ、菓子作りをした。”チョコレートケーキ”である。

 同居人からのリクエストである。本来ならこの手のものをこちらがいただける時期になってるはずなんだが。
 もっとも”逆チョコ”ってのも流行ってるらしいが...。

 お菓子作りは計量が全て、って教えてくれたのは身内の調理師である。そのためステンレスボールは総出演となる。そしてオーブンに投入するまでは完璧だったんだ。

 入れてからあるものを発見! ケーキ型の底に敷くべき円形に切ったオーブンシートを。


 冷静に考えれば、下準備でケーキ型にバターを塗ったり、強力粉をふったりしてあるんで焼け付いて焦げてはがれにくくなることもないのだが。

 仕上がりは想定どおり。ケーキ型底も難なく剥がすことができた。

 お菓子作りは始まったばかりである。何せリクエストの残りあと4種あるんだから。


 今夜のメニューは”いわしの干物”、”おでん(作り置き)”、”キャベツの味噌汁”、”エリンギとシイタケの焼き物”。

2010年2月3日水曜日

赤頭巾ちゃん気をつけて

 作者は庄司薫である。奥さんは有名なピアニスト中村紘子?であったと思う。

 この作品は当時のベストセラーになっただけでなくJサリンジャーの”ライ麦畑....”と比較されたことでも有名である。
 主人公の性格からしてまるで違うことで全体としてもその違いは歴然としているにもかかわらず何故そんな風にとりざさられたかは今思うと不思議である。

 映画化もされて主人公に現在東映の名製作者岡田某であり、相手役に森英恵の娘か何かがなっていてこの人はその後芸能界にいなかったんじゃないかな?
 当時の感想を言えば、どうと言う事もないものだった。原作で感動もしてないから、それをなぞっただけの映像から得るものは何もなかった、ということである。

 4日家を空けて戻って、たまった新聞に目を通してJサリンジャーの記事を見つけ、この作者や当時に詳しい評論家がこのことに関して記事を載せるんじゃないかと期待したが、残念ながらなかった。
 昭和はますます遠くなった?


 実家で大工仕事の真似事をしてきたおかげ(?、飲み疲れもだが)で疲れが出たらしく今夜は同居人の了解ももらい、鍋物に。
 ”大根、春雨、にら肉団子の鍋”。今回3回目で同居人の評判も良い。